(9)2070頃には、2020年代現在の「日本人」というアイデンティティーが相当に薄まっている。規模の大きなシンガポールのように多人種、あるいは多人種ミックスの状態になる。日本語以外に英語が公用語、中国語とハングルが準公用語の扱い。労働者階級が暮らす地区ではこれらの言語が混ざり合い、ピジン(植民地などで現地の言語と侵略した側の言語とが接触してできる混成語)化した「ストリート言語」が話されるようになる。

 ここまでが「無為無策を続けた場合のシナリオ」です。日本社会は存続するため、そして繁栄するために変貌を必要としています。そこには不都合な「カオス」も含まれます。この「カオス」を飲み干し、新たなギラギラした日本を創造するべき時が訪れているのです。

移民問題の解決策を
SNSに求めてはいけない

 しかしながら、前述したように政治の現場でこの広い意味での「国際化=日本の生まれ変わり」に向き合う気合いや態度を見せている政治家は見当たりません。マスコミもエグいところまで食い込んだ議論をしようという姿勢はありません。

 そんな中、移民問題の答えをX(旧ツイッター)などのソーシャルメディアに求めてしまうと、かなり大変なことになります。今のところはソーシャルメディアを単純に「見ない」のが1番の正解のように私には思えます。移民問題に関する記事や研究報告をネット上で調べようとしただけでも、相当に強いバイアスのかかった情報がたくさん出てきてしまうので、まずは自分で考えるという心構えをしっかりすることが重要です。

 あなたが情報に対して受け身の精神状態でいると、知らないうちに偏った方向に誘導されてしまいます。そしてそのスピードは、案外速い。検索アルゴリズムは閲覧数を上げるために、より情緒に訴える極端な情報アイテムへとユーザーを引っ張る習性があるからです。したがって、れいわ新選組を調べた人、百田尚樹さんの本を読んで検索した人、有機農法や反ワクチンで参政党のサイトを見た人の終着駅はそれぞれまったく違うものとなり、交わることがなくなってしまいます。