定年制の廃止は
働き手確保のためではない

 経済協力開発機構(OECD)は2024年1月の対日経済審査報告で、急速な高齢化が進む日本は定年制を廃止すべきと提言した。

 一方、厚生労働省の調査によると、従業員301人以上の企業で定年制を廃止しているのは、わずか0.7%(2024年6月時点)、定年を65歳以上に引き上げている企業も17.4%にすぎない。ほとんどの企業は60歳定年を維持し、契約社員などとして雇用を継続することで高年齢者雇用安定法に対処している。そして、60歳を過ぎて継続雇用される場合、一般的に賃金は大幅に下がる。

  そうした中、ファスナー、スナップボタンなどのファスニング事業とAP(建築用工業製品)事業を中核とするYKKグループでは、2013~20年度に国内事業会社で段階的に定年を65歳に延長、21年度からは定年廃止に踏み切った。

 だがそれは、OECDの提言にあるように働き手を確保することが目的ではない。「あくまでも経営理念を推進するためです」。YKK人事部人事企画グループ長の堤直紀氏は、そう語る。YKKの経営理念では、「公正」を価値基準として経営判断を行うと強調している。「働き続けたくても年齢によって一律に雇用機会を奪う定年制や、再雇用しても処遇を下げる制度は『公正』とはいえず、当社の理念に合わないと考えたのです」(堤氏)

「個」の可能性を解き放ち多様性を組織の力に変えるYKK管理本部 人事部人事企画グループ長の堤直紀氏。

 YKKがグローバルに事業展開していることも、背景にある。60年以上前に海外進出を始めた同社はいま、70の国と地域で事業を営んでいる。海外で定年制がある国は少なく、グループの中では日本が例外的な存在になっていた。ちなみに、OECD加盟38カ国のうち、定年制があるのは日本と韓国のみである。

 定年廃止によって、YKKグループの社員は会社の求める役割を果たせる限り、年齢にかかわらず働き続けることができるようになった。職務内容が同じなら、65歳を過ぎても処遇は変わらない。いつまで働くかを決めるのは、本人自身である。

 65歳になるまでに社員は会社と数度にわたって65歳以降の就労意向を含めた面談などを行いながら、働き方を自律的に決定する。65歳までの経験・スキル・ノウハウを活かした職務が会社により決定される。

 定年廃止を決めてから3年が経ち、2024年4月から初めて65歳以上の社員が勤務を始めた。65歳以降も働くことを希望する社員は6割近くに達し、現在、国内グループ会社全体で約150人が65歳を超えて継続勤務している。

 YKKといえば、創業者の吉田忠雄氏の思想である「善の巡環」がよく知られるが、同氏は「大樹より森林の強さを」という考えも残した。年輪を重ねた太い木、若くて細い木、背の高い木、低い木など植生が多様な森林ほど強い。会社においては、社長も社員も肩を並べる一本の木であり、多様な人材がそれぞれの個性によって得意とする能力を発揮することで、組織の活力が高まるという考えだ。

 YKKではこれを「森林経営」と呼んでいるが、定年廃止でキャリアの自律性が高まったことにより、創業者の思想の実現にまた一歩近づいたといえるだろう。