大都市で郊外移住が進み
本格的な通勤ラッシュに
1906年の鉄道国有化以降、都心の電車ネットワークは急速に発展した。1909年に山手線上野~新橋間が電化され、1両編成15分間隔ながら電車の運行が始まった。車両は車軸の数を倍にして全長を伸ばした「ホデ6100形」が導入され、「デ963形」から定員が3倍近く増えた。これで池袋から外回りで上野、渋谷から内回りで新橋に出やすくなり、池袋・新宿・渋谷が三大副都心に発展する礎となった。
続いて110年前の1914年12月20日、東京の玄関口として東京駅が開業し、東京~横浜間の電車「京浜線」の運行が始まった。(ただし京浜線は設備不良ですぐに運行を中止し、運転再開まで6カ月かかった)。東京~桜木町間の平均速度は時速41キロ、所要時間は45分、これも現在の時速46キロ、40分とほとんど変わりない。
大正期の日本は第一次世界大戦の特需に沸き、商工業が急速に発展。東京や大阪など大都市では、環境の悪い都心から郊外に移住し、都心まで電車通勤する生活スタイルが定着した。前近代的な職住近接・一体から、オフィスや工場に通勤する職住分離へ時代が変わることで、本格的な通勤ラッシュが起こるようになった。
その後、電車は都心に乗り入れていく。そもそも東海道線、東北線などが都心まで乗り入れしなかったのは、江戸以来の市街地があり、用地買収が困難だったからだ。しかし東京が発展・拡大する中で、鉄道空白地帯を埋める必要があり、15年以上をかけて都心を縦断、横断する鉄道が整備された。