「アベレージ教育」の問題点

 日本の教育システムの長年の問題点――その中でも特に顕著なのが、いわば「アベレージ教育」とも言うべき、クラスの生徒全員の平均的な学力向上を目指す教育方針です。

 こうした潮流は戦後から高度経済成長期、バブル経済を経て今日まで続いてきましたが、現在はその限界と無意味さが浮き彫りになっており、多くの人がそこに気づいています。

 私がつねづね疑問に思っているのは、住んでいる地域によって自動的に通う小学校や中学校が決まってしまうこと。例えば、ある公立小学校では芝生のグラウンドがあって運動に力を入れるとか、別の学校では卓球が強いとか、受験に特化していたり、体験型学習が特長であったりなど、学校ごとに特色があって自由に選べるようなシステムならよいのにと思います。

 現状では公立中学校への進学の場合、ほとんどの子どもたちは行きたい学校を選択することができません。これでは各人の個性や才能に合わせた教育を受ける機会が限られてしまう。

 それもあって結局、私立の中学校に行くしかなくなり、中学受験ブームが加熱しているのだと思います。住んでいる場所で自動的に学校が決まらず、もし公教育にもっと選択肢があれば、中学受験に向かない子どもたちも無理に受験に駆り立てられることなく、自分に合った教育を受けられるのではないか。

 私は親の仕事の関係で、子ども時代の一時期をスペイン・マドリードで過ごしました。6年生で日本に帰国したとき、学校のルール、いやそもそも常識がスペインと日本とでは大きく異なっていることに気づきました。

「遅刻ってしちゃいけないんだ」「授業中にトイレに立つときには、先生に許可を取らなくちゃいけないんだ(というより、トイレは休み時間に行っておくことになっているんだ)」と驚いたことを今でも思い出します。

 日本では犬の散歩の途中、飼い主がフンを拾って持ち帰るのがマナーですが、スペインでは道路を掃除する人の仕事を奪うことになるので、犬のフンを拾ってはいけないことになっています。また、スペインには「シエスタ」という昼寝の習慣がありますが、日本にはないことにも当初は戸惑いました。

 当たり前ですが、国によって価値観、もっと言えば、幸せの定義がそもそも違うので、教育の在り方も変わってくるということだと思います。