1994年に始まったフジテレビ『よ!大将みっけ』に当時17歳の香取慎吾を抜擢。オーディションで香取の反応の早さ、そして年上の人間にも物怖じせずぐいぐい来るが決して不快にさせないバランス感覚に萩本は驚嘆した。ほかにラサール石井や関根勤といったベテラン芸人もいるなかで、香取は萩本から信頼され、たびたび大切な役割を振られるような存在になっていた。

書影『萩本欽一 昭和をつくった男』(筑摩書房)『萩本欽一 昭和をつくった男』(筑摩書房)
太田省一 著

 香取慎吾のほうも、この時以来萩本欽一をバラエティの師匠的存在としてリスペクトするようになる。共演も頻繁になった。その絆の深さは、現在は2人で司会を務める『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』でも一目瞭然だろう。

 このように見ると、グループとして番組で共演したわけではないが、萩本欽一が作り上げたテレビバラエティの基盤を最も正統に受け継いだのはSMAPだったという見立ても満更外れてはいないように思えてくる。

 1980年代の漫才ブーム以降、ビートたけしの「毒ガスギャグ」など毒のある笑いが旬になっていったなかで、どの世代にも満遍なく受け入れられる欽ちゃんの笑いは人畜無害でつまらないもののように見られ、影が薄くなった。だがそのなかで、SMAPが1990年代以降『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)などで見せてくれた笑いは、むしろ欽ちゃん番組の笑いに近かった。

 それは「やさしい笑い」と表現できるかもしれない。かつて萩本は、勝俣州和にこう言ったという。「お笑いに必要なのはやさしさだ」「お前は面白い人になるんじゃなく、やさしい人になれ」「誰かを傷つけて笑いをとったとしても、それは本当の笑いじゃない」「やさしい人がお笑いをやれば、人の心はきっと温かくなるものだから」「だから見る人の何十倍もやさしい人間にならなきゃいけない」(『昭和40年男』2014年6月号、60頁)。