ホンダの三部敏宏社長は、トップ就任から3年目を迎えた。中国市場の低迷を受けて、これまで社内で権力を握っていた「中国閥」が凋落する一方、かつて主流派だった「北米閥」の青山真二副社長の存在感が高まっている。孤立主義から一転、提携路線にかじを切った三部体制が抱える課題とは。特集『ソニー・ホンダの逆襲』(全18回)の#3では、現体制の権力構造を解明するとともに、次期社長候補にも迫る。(ダイヤモンド編集部 宮井貴之)
「○○帝国」と称されるほど権勢を振るう
ホンダの幹部とは!?
2021年の就任から3年目となる三部敏宏社長(62)。電気自動車(EV)の浸透などホンダを取り巻く経営環境が激変する中、中国事業出身の幹部が占めていた同社の中枢が大きく揺れ動いている。
そもそも中国閥が幅を利かせるようになったのは、中国事業出身の八郷隆弘氏(64)が社長に就いてからだ。
八郷氏は、全世界で四輪生産600万台体制を目指した前任の伊藤孝紳元社長の拡大路線で生じた負の遺産の整理に追われた。就任後、埼玉・狭山工場の閉鎖やF1事業からの撤退を次々に打ち出し、広げ過ぎた戦線を縮小する“守りの経営”に徹した。
八郷氏は、中国閥の同輩で、中国事業の成長の立役者である倉石誠司氏(65)を副社長として登用、また、倉石氏と共に中国事業を北米に次ぐ第二の柱に育てた水野泰秀氏を四輪事業本部長として引き上げ、地歩を固めた。これによりホンダを支えてきた保守本流である北米事業出身者は権力の座から追われた。
中国閥が隆盛を極めた“守りの時代”から、EV時代に向けて“攻めの時代”に転じるタイミングで社長に就いたのが、三部氏だった。
社長就任以降、中国閥との調和を重視してきた三部氏だが、3年目を迎えて、いよいよ“攻め”の改革を断行する体制を整えつつある。
次ページでは、本気モードに入った三部社長体制の「権力構造」を大解剖するとともに、次期社長候補にも実名で迫る。