でも周りの方々の心配を押し切り、これを成功させたときは、もうやれることはやり尽くしたかもしれないと感じるほど、充実感でいっぱいになった。

 そんなふうに思ったにもかかわらず、それからさらに10年以上にもわたって、僕の個人芸の披露は続いた。なんだかんだ言って、僕もやりたかったのだな、と思う。最後に披露したのは2010年のアーチェリーで、『新春かくし芸大会』という番組自体、この年をもって終幕となった。本当に大変だったことばかり思い出されるけれど、なんとも味わい深い、お正月の風物詩的な特別な番組だった。

 アスリートのようにストイックな精神をもって、限定された期間の稽古で完成度を高めていく「かくし芸」。足りないものを少しずつ埋めていく作業は、舞台を完成させる過程とも似ていた。こういった芸は、緊張とのせめぎあいだ。それに翻弄される中、僕は年々、難度の高い演し物を披露する羽目になっていった。

画家や作家の仕事と同じ
芸事は終わりがない

 もちろん、しくじりが続いて打ちひしがれることもあったが、なぜかときどき、芸事の神様が降臨する日もあった。そういうときは、神がかったように不思議となんでもうまくいく。芸の神様、猿田彦神社の神様が降りて寄り添ってくれる感覚とでも言うのか、なにか目に見えぬものに操られるような、説明できない力の助けを感じた。アスリートで言うところの「ゾーンに入った状態」みたいなものだろうか。そして、なぜか本番では、僕はいつも成功するのだった。

 あれはなぜだったのだろう。栗原家を守る守護神のような目に見えない存在が僕の背後にいて、僕の芸を見守ってくださっているとしか思えなかった。お墓参りを大切にしてきてよかったと本気で思うばかりだ。

 僕は決して努力家ではない。どちらかというと感覚派の人間だ。そのうえ、自分が準備しているところやコツコツ練習している姿は人に見せたくない。根性論はあまり好きじゃないし、そういうのを売りにするのは恥ずかしい。だって、自分でやると決めたからには、プロなら自分で自分を追い込むのが当たり前だから。