報道志望が一転「キャビンアテンダント」からのスタート
――新卒で就職された日本航空は、第一志望だったのですか。
杉村 実は、学生時代に本当は「報道」の仕事に就くのが夢だったのです。結果としては就職活動で報道の仕事とはご縁がなく、卒業後は日本航空にキャビンアテンダント(CA)として入社しました。
入社してしばらくしたある時CAの同期の友人が仕事で体調を崩し、その後のキャリアについて悩んでいるという話を聞きました。学生時代に希望した業界へ進めなかった自分の思いもあって、友人がキャリアについて悩む姿は他人事とは思えませんでした。
そこで我究館のことを思い出し、悩む友人に太郎さんを紹介したのが、私と彼の再会のきっかけでした。
今思えば、CAの経験が自分の視野を広げてくれたと感じています。人はなぜ「おもてなし」に魅了されるのか、どうすれば、人に共感してもらえる「おもてなし」の心を伝えることができるのか。仕事をする中で始まった「おもてなし」を巡る葛藤は、学生時代の自分が、なぜあれほど報道の仕事に憧れたのかを実感を持ってはっきりと教えてくれたのです。
なぜあの人は、素晴らしい才能を持ち、精いっぱい努力しているにもかかわらず、世の中で正当に評価されないのか。もっと広く知られる機会があれば、多くの人から共感を得る人であるはずなのに……。
そんな人が世の中には大勢いて、私はそうした人たちの人生にスポットを当てる仕事がしたい。これが報道の仕事を目指した理由だったのです。
でも、久しぶりに会った太郎さんと話して分かったことは、彼が実現したかったのは、「自分がこうしたい」を超えた「人の人生を輝かせる仕事」でした。それは、私の考えよりもはるかに大きく、意味があることのように思えました。
大学3年生で初めて彼に出会った時にはなかった「一人の大人として、杉村太郎の考え方に非常に共感した」経験でした。