加害者が逆ギレ!? 異文化の中で感じた日本人としての理不尽

――多くの国の文化が交わる米国だからこそ出くわしたトラブルや理解不能だった出来事はありますか。

杉村 一番ショックだったのは、娘がけがをさせられたにもかかわらず、逆に加害者側から文句を言われた時でした。

 ある時、他大学のコミュニティーで色々な国の家族が集まる立食パーティーがありました。そこにまだ英語がよく話せない、中東圏の国の子どもが、椅子に座りたかったんでしょうね、まだ2歳の娘を押したのです。すると、娘がすっ飛んでいったんですよ。

 そこで運悪く額を切りまして、血がうわっと出てパニックになって。その後、慌てて救急病院に連れて行ってと一大事になったのです。

 その時はその子のお母さんも「すいません。何かあったらいつでも連絡してください」と謝っていたんですが、翌日からはお母さんとは一切連絡が取れなくなりました。

 ようやく連絡がついたお父さんと電話でやり合うと、「あの日は妻の帰りが遅くなった、どうしてくれるんだ。むしろ謝ってほしい」「病院に行って処置を受けたんだから、それ以上何ができるんだ」という理解不能な返事が返ってきました。

 後から大学関係者に聞いたところ「もし、自分たちが経済的に豊かな国の日本人に非を認めて謝罪でもしようものなら、母国の家がなくなるぞ、だから絶対謝るな」ということだったそうです。

 あるいは、こんなこともありました。

 ある日、郵便局に行って日本に荷物を出そうとものすごい長蛇の列に並んだ末、ようやく自分の順番がやってきた時、財布を忘れたことに気が付いたのです。「後でおさいふを持ってきますから……」と言ったら、窓口の人は「もういいよ」と言って、国際郵便料金を受け取らずに発送してくれました。後日、改めて郵便料金を支払いに行ったら「本当に来たの?」と驚かれました。

 米国には色々な国籍の人がいて、クリスチャンもいれば、ユダヤ教徒、イスラム教徒もいる。文化も宗教も言語も違う人たちが、辛うじて「英語」という言語だけでつながっている。そんな国で、どうたくましく生きるかを学ぶことができました。その経験は、将来、報道という仕事で必ず生きるだろうと思っていました。

(後編につづく)

杉村貴子 我究館 代表取締役Photo by Kuniko Hirano
杉村貴子
すぎむら・たかこ/就職・転職を支援するキャリアデザインスクール「我究館」と、英語コーチングスクール「プレゼンス」を傘下に持つジャパンビジネスラボ代表取締役。我究館館長。1997年、青山学院大学経済学部を卒業後、日本航空にCAとして入社。98年、ジャパンビジネスラボ創業者の杉村太郎氏と結婚。2000年、夫の留学に伴い家族で渡米。帰国後は証券アナリスト(CMA)として、BS朝日のニュースキャスターを務める。07年、大和総研に入社。調査本部にてマーケットリサーチ、企画、新人採用・人材開発、広報に携わる。杉村太郎氏没後、14年から現職。著書に『絶対内定』(共著)、『たとえ明日終わったとしても「やり残したことはない」と思える人生にする』 ほか。
※我究館ホームページ https://www.gakyukan.net/