2013年5月10日、政府・厚生労働省は、自民党厚生労働部会に対し、生活保護法改正案を示し、了承を得た。5月14日には、公明党も了承した。この生活保護法改正案は、本日、5月17日にも閣議決定されようとしている。
今回は前回予告した生活保護引き下げを前にした当事者の声を紹介する予定を変更し、この生活保護法改正案の内容と問題点について紹介する。
あなたは、「生活保護制度は不要」だと思いますか?
2012年4月、お笑い芸人の母親が生活保護を受給していたことを発端として、いわゆる「生活保護バッシング」が始まった。2012年初夏から夏にかけては、数多くの不正受給事例がTV等のマスメディアで喧伝された。
筆者には、「稼いでいるなら、困窮している近親者を扶養すべき」という論理は理解できない。「高額の所得があるのに」というのなら、所得税も高額になる。その所得税を社会保障に回せば、結果として、困窮している近親者は救済される。この「所得再分配」こそ、政府の機能の要ではないか。高額の所得を得たら、高額の納税を要求された上に困窮者を直接扶養することを求められるのでは、それこそ、生活保護当事者への批判としてしばしば言われる「働いたら損」そのものではないか。ちなみに、日本以外の先進国には、公的扶助の利用者の親族に対して扶養を強く求めている例はない。
不正受給も同様だ。不正受給は、金額でも世帯数でも、生活保護当事者のごくごく一部にだけ見られる、「珍しい」と言ってよいほどの現象である。善か悪かと言えば悪ではあるけれども、その「珍しい」現象が全体を代表しているわけではない。悪であるからには、予防・対策が必要であることは間違いないかもしれない。しかし、その予防・対策には、人員・資金などのリソースが必要だ。貧困が拡大しつつある現在、不正受給という現象にリソースを集中させることに、何のメリットがあるのだろうか? それは、貧困の拡大という背景そのものに対し、何らかの対策となるだろうか?
5月17日、つまり本日にも閣議決定されようとしている生活保護法改正案は、親族の扶養義務と不正受給対策を非常に強化し、生活保護費の用途を制約する内容である。もちろん、人間の価値観は多様だ。「困窮者は親族が面倒を見るべき」という意見はあってよい。日本では高齢者を中心に、そのような意見が根強いという現実もある。保護費のやりくりが適切に行えない生活保護当事者が存在することも事実である。筆者は「本人が行き詰まりを感じるまで放っておけばいい、世の中には多数のFPがいるし、非常に安価なやりくり講座もあるし」と考えているけれども、「指導して『あげ』なければ」と考える人々も、「立場の弱い人のプライバシーに口を突っ込んで快感を得たい」と考える人々も、日本には数多く存在する。
しかし、個々の考え方・感じ方・思いがどのようなものであれ、「困窮する」という状況は、誰の上にも起こりうる。その時、最後のセーフティネットたる公的扶助がなければ、その人は死んでしまうしかない。だから、公的扶助が必要なのである。内容がどのようなものであることが適切かはさておき、公的扶助そのものの必要性を否定する人は、多くはないだろう。「自己責任」の国とされるアメリカでさえ、公的扶助の必要性までは否定されていない。むしろ、「レーガノミクス」以後の福祉削減への反省から、より手厚くする方向への動きがあるほどだ。