違和感が上塗りされた
「自分ごと」という表現

「自分的には」

 もよく使われるのですが、これも「逃げている」印象が強い。「私は」と言いたいのに言いにくい、「自分は」と言い切るのはなんとなく気が引ける、断言するほどは自信がないし、他の人はそう思わないかもしれないし……という、どこか逃げ腰で、逃げ道を作りたいような感情がどこかにあるのでしょう。

「他人ごとではなく自分ごととして考えたい」

 これも不思議な違和感があります。

 そもそもの話をすれば、国語辞典に「たにんごと」「他人事」という言葉はありません。「人事(ひとごと)」があるだけです。

「人事」だと、「会社の人事」と感じる人が多いので、あえて「他人事」と書いて「ひとごと」と読ませる、という慣例はありますが、正しくは「たにんごと」という読みも言葉もないのです。

 まあ、誤用であっても使われているうちにいつかは辞書に載ってしまう、ということもあるのでしょうが、私が気になるのはむしろ、「自分ごと」のほうです。

書影『怖い日本語』(ワニブックス)『怖い日本語』(ワニブックス【PLUS】)
下重暁子 著

 そもそも誤用の「他人ごと」と対比して「自分ごと」と言うのは違和感の上塗りで、もはや気持ちが悪い。「自分ごと」っていったいなんなのでしょうか。まあ、なんとなく「当事者意識」のような雰囲気を表したいのでしょうが、いかにも「きれいごと」な言い回しです。

「私たちはこうした環境問題を他人ごとではなく自分ごととしてとらえることが大切なのではないでしょうか」

 なんて言われたところで、何も心には届かない。まず「私たちって誰よ」「自分ごと、とか言うけれどあなたはどうとらえているの」としか感じない。こういう言い方こそが、まさに「ひとごと」だとは思わないのでしょうか。

 これらの「違和感」というのは、私の個人的な感覚ですが、もしも「なんかこういう言い方って腹がたつな」「カチンとくるな」と感じたら、自分なりにその違和感や不快感がどこから来るのか、自分ならどういう言い方をするだろうか、と考えてほしいと思います。