感動ポルノは主に障がいや深刻な困難を抱える人を「かわいそう」「健気で感動的」という単純なイメージに押し込め、視聴者が「感動を得る」こと自体を目的化する構造を批判的に示す言葉である。

 そこでは当事者の権利や抱えているものよりも、「感動」という一時のカタルシスが重視されるため、複雑な背景や本来必要とされる社会的な支援などは二の次にされがちという問題点をはらんでいる。

 転売ヤーに関する言説でも、同じような感情を覚えることがある。今回のSwitch 2でも、転売ヤーが損したという言説を広めたくて、Xで真偽不明の「インプレゾンビ」のツイートをリポストする人も少なくないし、Youtubeでは「転売ヤー爆死」という動画がたくさんの再生数を集めている。

 転売ヤーが「爆死」したかどうかは極めて怪しいにもかかわらず、カタルシスを得るために「嫌いな転売ヤーが損をした」「転売ヤーはこれだけ頭の足らない生き物だ」と都合の良いストーリーが広まってしまうのは、非常にポルノ的である。「アンチ転売ヤーポルノ」と言ってもいいかもしれない。

 なぜこれを「ポルノ」と呼ぶのかと言えば、事実解明や問題解決よりも、叩く側が快感を得ることが主目的になっているからだ。真偽不明の失敗談を聞いた瞬間に満足し、詳細やソースを検証しないまま「転売ヤーざまあ」という感情を娯楽のように消費してしまう構造が、「アンチ転売ヤーポルノ」の本質だといえる。

 感情を優先して真偽不明のストーリーを流通させる人や、それを食い物にしようとする人も、私は転売ヤーと同じくらい醜いものだと思っているのだが、あまりこうした言説は見ない。何も考えずに「とにかく転売ヤーが損した感覚だけが欲しい」と思って誰かに踊らされる人の頭の中は、お金だけを優先してモラルの欠如した行動を取る転売ヤーと同じくらい空虚ではないだろうか。

 冷静になってみれば、転売ヤーから学ぶことも多くあると思う。