漫画というのは
「今の空気」が詰まっているもの

漫画家。1966年大阪府生まれ。1984年、「なかよしデラックス」(講談社)掲載の『あなたと朝まで』にてデビュー。代表作に『月下美人』『プレイガール K』『ホタルノヒカリ』『ヒゲの妊婦(43)』『メゾンde長屋さん』『西園寺さんは家事をしない』など。現在は兵庫県豊岡市城崎町に在住。YouTubeチャンネルや、音声メディアVoicy「ひうらさとるの漫画と温泉」などでも活躍。近著は初のエッセイ『58歳、旅の湯かげん いいかげん』(扶桑社)。
ひうら 忙しすぎて「寝られないのがいやだ!」と思ったことはありますが、「筆を折ろう」と思ったことはないです。
ただ、読者の顔が見えなくなったり、手応えを感じなくなったりして、よくないサイクルに入っているなと思うことはあります。
田中 そんなとき、どうするんですか。
ひうら やはり続けます。いったん「レールから降りる」、つまり、長期で漫画を描くことから離れると、戻るのにすごくエネルギーを使うんですね。
漫画というのは、「今の空気」が詰まっているものなんです。ですから、何年も離れると、感覚を取り戻すのが難しい。
すごく才能がある人でも、年単位で離れると、「もうあの戦場には戻れない」と言っていました。私からすると、「戦場」ではなく「近所の公園」くらいの気持ちなのですが……(笑)。
当然、性格もあると思いますが、私の場合、描くのをやめるとか、作品を出さないとかではなく、「だましだまし」でも続けていく。何とか続けていくと、突破口が見えてくるんです。
自分が「ダメだ」と思っていても、「いい」と思ってくださる読者がいることもある。また、別の角度から見直したり、描き上げてみると、それほど悪くなかったりするということもある。とにかく、最後まで描くこと。
アイデアを思いつくことは誰でもできるのですが、最初の5ページくらいは描けても、最後まで描き上げることができない人というのはとても多いんです。これは、漫画家としてデビューできるかどうかとも関係があります。下手でも何でもいいので、「最後まで描くこと」は、プロの漫画家の第一歩なんです。

田中 通訳の仕事でトップアーティストの方々と接する機会があるのですが、才能のある人でも、ずっとその舞台に立っていられるわけではない。
では、どういう人が舞台に残り続けられるのかというと、「その分野のことを考え続けられる」人なのかもしれないと、感じることがあります。
たとえば、ジャズピアニストの上原ひろみさんは、子どものころから「息をするように」ピアノを弾いていて、何時間もの練習でも、まったく苦にならなかったらしいんですね。また、NHK『クローズアップ現代』のメインキャスターを20年以上務めた国谷裕子さんは、著書の中で、キャスターとして何を伝えるべきなのか、ずっと悩み、ずっと考え続けてきたと、書かれていたのが印象的でした。
ひうら 『うる星やつら』で有名な漫画家の高橋留美子さんは、週刊誌と月刊誌、両方の連載締め切りを終えて、スタッフがへとへとになっている中、「仕事が終わったから、みんなでお題を出し合って、お絵かきしようよ!」と嬉々として落書きをし始めたというエピソードがあります(笑)。
そんなふうに、自然に手が動いてしまうようなタイプの天才はいますね。私はそういうタイプでも天才でもないですが、「長く続ける」ということはできているんだと思います。
ただ、今の時代は、漫画家は筆一本で食べていくことは難しくなってきています。ですので、私もYouTubeで配信したり、Voicyで配信したり、いろいろなことに、少しずつ挑戦しています。
AI時代、プロフェッショナル
としてどうあるべきか
田中 AIが漫画を描く時代について考えることはありますか。
ひうら 最近、AIが4コマ漫画を描いたというニュースもありましたね(※)。イラストのみでしたら、AIが描く時代というのはあり得るでしょう。ただ、AIを使って漫画を描くことを研究している、ある研究者の話では、AIにコマ割りを理解させるのは難しいそうなんです。4コマはコマ割りはシンプルですが、それ以外の漫画はコマ割りが複雑なんですね。
※オープンAIは3月25日、対話型AIの「Chat(チャット)GPT」に、人間の指示をより正確に理解して画像を生み出す新機能を導入。各コマに登場するキャラクターやセリフなどを詳しく指定することで、瞬時に4コマ漫画が生成され、話題となっている。これまでのAIは、画像を生成しても、その中に文字を正しく書き込むことは苦手とされてきた

漫画のコマを読み進める順番や方向、視点の動きなどを法則化するのが難しい。
私たち漫画家も、そうした研究に協力していますが、「なぜ読者はこういう視点の動きをするのか」は結局のところよくわからない。わからないけれども描いている(笑)。単純に法則化できないんです。
ですから、そこを法則化してAIに理解させるまでには、まだしばらくは時間を要するのではないかと思います。
それに、ものすごく精密で上手な絵を描いたからといって、あるいは、話がいくらよくできていても、いい漫画になるとは限らないんです。単に描くだけではなく、その奥にあるものをどう表現して、読者に伝えるか。
田中 それは言語化できないところですよね。ジョブディスクリプションとして表現できないから、AIに指示することができない。
ひうら それは、通訳でもきっと同じではないでしょうか。本当の仕事は、単に翻訳することではなく、その奥にあるものをどう表現して伝えるか、ですよね。

田中 その通りですね。私は、通訳者というのは、言語や文化が異なる人たちの間に入って、ファシリテーター的な役割を果たさなければならないこともあると思っています。
ですから、ただ翻訳するだけではなく、相互理解のために、時には、交通整理をしたり、場が和むように心がけたりしています。険悪な雰囲気で沈黙が続くと、「最近、暑いですね」なんて言ってみたり(笑)。
こうした、「空気を読むこと」や「言葉が通じない人同士をつなぐこと」というのは、AIには難しい。これからキャリアを積む人たちは、「その人にしかできないこと」が何なのかを考えながら、そこを磨いていくことになるのだと思います。ひうら先生は、ご自身にしかできないことは、どういうところだと思っていますか。
ひうら 私は自分に特別なところがあるとは、まったく思っていないんです。ただ、漫画に関してはいつも研究しています。自分の絵柄は古いと思っているので、若い人の新しい絵柄からはいつも学ばせてもらっています。学んだ要素をどう自分の漫画に組み込んでいくかを考えるのは、とてもおもしろいですね。
田中 「その分野のことを考え続けること」というのは、自分を更新していくということであり、その中に、「AI時代のプロフェッショナルとしてどうあるべきか」の答えがありそうですね。