英国政府の本心は
「事件を忘れ葬り去りたい」
「ロシアの工作員が英国内で英国人を殺害する。19世紀だったら、大英帝国海軍がサンクトペテルブルクを砲撃するためバルト海に向かっていた。しかし、今は時代が違う。両国とも戦争は望んでいない。だから殺害を否定する。それでもリトビネンコの急死を知った国民は誰もが、KGBに殺されたと推測する。政府の否定を、国民は肯定と受け止める。公式発表を正確に翻訳する。国民を震えあがらせる効果は十分にあるんだ」
ブコウスキーによると、ポロニウムが検出された時点で、英国政府はロシア政府の関与に気づいた。しかし、真実解明を求めるマリーナの活動を支持せず、むしろ反対する動きまで見せた。この点をどう考えればいいのだろうか。
「私は英国のやり方を不思議だとは思わない。本心では事件を忘れ、葬り去りたいはずだ。彼らにとってロシアとの関係は亡命ロシア人の命(※11)よりも、何倍も大切だ。事件が起きた直後にも、『ロシアとの良好な関係を維持することが最優先だ』と発言した閣僚がいた。私はテレビでその発言を批判した。『その考えは間違いだ。国民を守るのは政府の義務だ』とね」
(※11)…リトビネンコ氏を指す
英国にとって、エネルギー大国ロシアとの関係は重要だった。今の豊かさを維持するためには絶対に必要だった。確かにそうだろう。でも、私は答えを予想しながら、あえてうぶな質問をぶつけてみた。
「英国は民主主義国家で人権を尊重しています。暗殺は容認できないでしょう」
ブコウスキーは体を反り返らせるようにして言った。
「おいおい、まじめにそう考えているんじゃないだろうね。みんな偽善者なんだよ。政治家は個人の命なんて、さほど気にしていない。彼らにとって大事なのは再選だけ。日本も同じじゃないのかい。政治家とは偽善者である。そうだろう?」
「英国も日本もロシアと同じということですか」
「同じではない。レーガン(※12)とサッチャー(※13)は本気で人権について考えていた。私は個人的に2人を知っている」
(※12)…ロナルド・レーガン。1981年~1989年までアメリカ合衆国大統領を務めた
(※13)…マーガレット・サッチャー。1979年~1990年までイギリス首相を務めた
ゴルバチョフへの対応について、ブコウスキーはサッチャーにアドバイスしている。
「後日、公文書館で交渉議事録を確認したのだが、サッチャーは私がアドバイスした通りのことをゴルバチョフに発言していた。彼女は嘘をつかなかった。ほとんどの政治家は『はい、はい』と笑顔で言いながら、何もしない。しかし、英国や米国にはごく一部、信頼に足る政治家がいる」