【世界史ミステリー】西ローマ帝国とEUの「超意外な共通点」とは?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。

西ローマ帝国とEUの共通点とは?
フランク王国は、ローマ教会(「ローマ・カトリック教会」)と協調することで、勢力を拡大していきます。この協調の最大の結晶ともいえる事象が、800年の「カールの戴冠」です。
カールとは、フランク王国に最盛期をもたらしたカール大帝(在位768~814)のことで、積極的な外征により、フランク王国の領域を今日の西ヨーロッパの大半に相当するまでに拡張します。下図(図38)を見てください。

800年のクリスマス、カールは、当時のローマ教皇レオ3世の手で西ローマ皇帝に戴冠されます。これにより、およそ330年ぶりに西ローマ帝国が復活することになりましたが、カール大帝の「西ローマ帝国」は、かつてのそれとはまったく異なるものでした。
カール大帝の「西ローマ帝国」は世界帝国、すなわち多民族国家です。しかし、異質な文化をそれぞれ有する支配民(ゲルマン人とローマ系住民)は、容易に融合できるものではありません。ですが、そのような臣民にある共通点があります。それが「キリスト教」、ローマ・カトリックという同じ宗教を信仰しているという点です。
カールの帝国ではキリスト教は異文化を結びつける紐帯として機能し、またその国家統治も教会の協力により運営されるものでした。一言でいえば、「キリスト教帝国」とも呼べるものだったのです。そして、古代においてローマとゲルマンの文化が二分していた状況が、カールの手により一つに結びつけられ、新たな文化圏が成立します。これが、「ヨーロッパ文化圏」だったのです。
かつてのローマ帝国では、キリスト教は国家宗教になったものの、あくまでもローマ文化を基盤に吸収されたものでした。しかし、カール大帝の「西ローマ帝国」では、キリスト教(教会組織)を国家運営の中核に据え、キリスト教を布教することで、ローマ帝国以上に多様な民族を吸収・拡大することを可能としたのです。
カール大帝が西ローマ皇帝に戴冠したその時こそ、ヨーロッパが産声を上げた瞬間だったのです。したがって、中世における「ヨーロッパ」とは、「ローマ・カトリック圏」とほぼ同義になります。
さて、ここで1枚の地図を見てみましょう。1951年に発足した、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)の加盟国を示したものです(図39)。

このECSCの加盟国は、フランス、イタリア、西ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6カ国であり、二度の世界大戦で主戦場となったヨーロッパの地位が相対的に低下し、また「冷戦」の緊張が高まるなかで、米ソのいずれにも依存しない、独自の経済・政治圏を構想したものです。
そして、その加盟国の領域は、カール大帝の「西ローマ帝国」にほぼ合致します。ECSCは今日のヨーロッパ連合(EU)に発展しますが、EUではヨーロッパ統合を象徴する存在として、カール大帝は今でも敬愛されているのです。
ヨーロッパ人曰いわく、カール大帝は「ヨーロッパの父」。中世初期に「キリスト教の時代」を方向づけたフランク王国は、「ヨーロッパ」という文化圏をこの地上に生み出すことになったのです。
(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』を一部抜粋・編集したものです)