とはいえ、そうしたニーズを満たす製品は、令和時代にはたくさんあります。日本はモノがない時代から、大量生産・大量消費の時代に移って久しい。製品の選択肢が増え、昭和時代のテレビのような魅力的なカテゴリはあまり残っていないのが現実です。
そのとき人々は、同じ「便益」を手に入れるときにかかるお金や時間、労力を必要としない製品を選ぼうとします。そうなると製品はコモディティ化し、企業は儲からなくなります。
そこで、もう一つ注目すべき要素が「独自性」です。たとえばスマホなら、テレビと自動接続してスマホの情報とテレビの情報が常にアップデートされ、手元で見ている情報がテレビ画面にも出てくるといった、その製品でしか楽しめない機能が付いていることが条件となります。他を選べないから、今あるものを高いお金を出してでも買うしかないわけです。自分が、他の選択肢を選ばない理由です。
私はマーケティングにおいて、この「便益」と「独自性」の2点を重視すべきであると常に唱えています。そして前述のように、これらは「プロダクトアイデア」において、より重要となります。
松下電器産業が世界初のカラーテレビを開発したときは、それ以外に買う選択肢がない状況で、便益と独自性がイコールになっていました。これは、製品の競争力が最も強い状態です。今そんな製品は滅多にありませんが、マーケターは「便益」と「独自性」で競合製品に秀でるべく、常に考えていかなければいけません。
・アイデア/独自性と便益を兼ね備えた「新しい価値提案」と言えるもの
・コモディティ/独自性がなく便益があるもの。競合と差別化ができておらず、代替性が高い
・ギミック(仕掛け)/独自性はあるが便益がないもの。人目を引くだけの一過性のエンタテインメント
・資源破壊/独自性も便益もないもの。各種のリソースを無駄使いしている
「マス思考」のマーケティングでは
なぜ顧客の顔が見えなくなるのか?
――マスを対象にしたマーケティングに対し、1人の顧客を対象にした「N1分析」を起点とするマーケティングの有効性を唱えています。顧客を合計値や平均値で見ることは統計学的にも正しいとされ、これまでマーケティングの主流の価値観になっていたように思いますが、従来の考え方はどこに課題があったのでしょうか。「たくさんの人にモノを売ろうと思えば1人の分析が必要だ」という理由を教えてください。
今の大企業が創業時に最初に見た顧客は「N1=1人」のはずです。創業者の思い入れで作ったプロダクトやサービスがはじめは売れなくて、わずかしかいない個別の顧客のニーズを分析しながら試行錯誤し、ようやく多くの人に売れるようになった。そして本格的な事業として立ち上げた、という経緯を全ての企業は辿っています。最初から大量の顧客に売れて創業した企業はありません。必ず1人の顧客から始まります。
しかし、会社の規模が大きくなって、顧客も何十万、何百万人となり、ここからさらに事業を伸ばすとなると、今までやってきた延長線上の売り方では、顧客の本来のニーズとズレが出てくることが多いのです。複数の事業を走らせ、それぞれ異なる顧客を見ながらたくさんのプロダクトを作っているので、ターゲットが曖昧になるわけです。