本来、想定する顧客を1人に絞って分析するほうが、便益や独自性は明確になります。しかし、ゼロからではなくすでに大きくなった事業をどうするかということになると、売り上げノルマも何百億円と巨額に上るため、マーケターは分析をN1に絞り込むのが不安になり、つい「マス思考」に陥りがちです。そうして具体的な顧客の「現場感」がなくなってしまう。ここが落とし穴です。
マスを見ると、結局誰を見ているのかがわからなくなってしまうんですね。「たくさん売りたい」という気持ちが優先し、「だれが買ってくれるのか」という顧客像がはっきりしなくなる。そして、「あれだけマーケティングをしたのに新商品が全然売れない。何故なんだ?」というケースが増えてしまいます。
本当に目指すべき「個人」は誰か?
自社の「祖業」を振り返る重要性
――経営者やマーケターが顧客像を見誤らないためには、どうしたらいいでしょうか。

自社の「祖業」を振り返ることですね。本当に目指すべき「N1」が誰だったのかは、その会社の祖業を見るとだいたいわかります。といっても、「祖業を大事にしろ」「創業者の家訓を敬え」といった情緒的、保守的な話ではありません。誰にどんな便益と独自性を提案して価値を創ってきたのか、その祖業を理解しておくことで、自社がどこに軸を持つべきかの指針になるのです。
創業したての企業が、何もしなければゼロ、何かやれば1といった「ゼロイチ」の状態で新しい事業に成功するのは相当難しい。たとえばIT系のスタートアップで上場している企業はたくさんありますが、その裏には「ゼロイチ」で失敗して消えていった企業が何千社もあるはずです。
マーケティングの指南書では、成功したスタートアップの事例ばかりが紹介されますが、本当に重要なのは失敗した事例も学ぶこと。成功した会社も、多くの失敗を経て成功に辿り着きます。その成功と失敗の分かれ道がどこにあったのかを知ることによって、「ゼロイチ」に何が必要かがわかるというものです。
――マーケターにとって、失敗と成功の境界線はどうやって見極めればいいのでしょうか。
明確な答えがあるわけではないのですが、成功と失敗の境界線は、痛い目に遭った経験が多いほどよくわかるようになります。
私は著書や講演で、失敗の話ばかりしています。成功したケースはわりと有名ブランドが多かったので、成功ばかりしているように思われますが、本当は失敗のほうが多いのです。正直、これまでのキャリアの中で8割は失敗だったと思っています。いまだに「なぜあれが失敗したのか」「どうすれば成功したのか」ということを、ずっと考え続けていますね。
西口一希(にしぐち・かずき)
1967年生まれ。兵庫県出身。大阪大学経済学部卒。90年P&Gジャパン入社。ブランドマネージャー、マーケティングディレクターを経て、2006年ロート製薬に入社。執行役員マーケティング本部本部長として、「肌ラボ」「デ・オウ」など60以上のブランドを統括。15年ロクシタンジャポン代表取締役社長。グループ過去最高利益に貢献し、アジア人初のグローバルエグゼクティブコミッティーメンバーに選出。17年スマートニュース参画。執行役員マーケティング担当。19年M-Forceを創業、その後マクロミルに売却。現在、Strategy Partners代表取締役社長、Wisdom Evolution Company代表取締役社長。『たった一人の分析から事業は成長する 実践 顧客起点マーケティング』『アフターコロナのマーケティング戦略 最重要ポイント40』『ビジネスの結果が変わるN1分析』『ブランディングの誤解 P&Gでの失敗でたどり着いた本質』など著書多数。
※「西口一希氏に聞く、マーケティングの『いま』と『これから』(下)」は6月2日公開です。