ラマスワミのような有色人種(POC)のイデオローグが「アンチリベラル」の先頭に立つようになった理由とは?

 アメリカを席捲(せっけん)する「批判的人種理論(CRT: Critical Race Theory)」によると、「正義」とは抑圧者が被抑圧者に押しつけたルールにすぎない。1970年代に左派の学者たちは、「法律とは政治の仮面をかぶった、権力者が弱者を支配するための手段だ」と論じた。

 黒人の弁護士・公民権活動家のミシェル・アレクサンダーは、「かつてアメリカの南部諸州はジム・クロウ法によって黒人の公共施設の利用を禁止・制限したが、このあからさまな抑圧に代わって、現代ではより巧妙な人種支配のシステムが完成した」とする。これが「新ジム・クロウ」で、警察は黒人を選択的に取り締まり、「薬物との戦い」を名目に黒人を大量に投獄しているとされた。

 黒人の歴史家・反人種差別活動家であるイブラム・X・ケンディは、ベストセラーになった『アンチレイシストであるためには』(児島修訳/辰巳出版)などで、人種間の不平等な結果につながるあらゆる慣行は、定義上、人種差別的であるとして、「レイシズムによる差別に対抗する唯一の方法は、“反レイシズムの差別”だ」と述べて物議をかもした。

 こうした主張には一定の真実が含まれてはいるものの、より詳しく歴史を検証すると、別の事情が見えてくるとラマスワミはいう。

 ひとつは、犯罪の厳罰化が始まる前の数年間に暴力犯罪が実際に急増していたこと。記録によれば、1959年から71年までの12年間でアメリカの街頭犯罪は4倍に増加し、殺人は63年から74年のあいだに2倍に、強盗は3倍に増えた。保守派のハリー・ゴールドウォーター(1964年の大統領選の共和党候補)やリチャード・ニクソン(1969年~1974年の大統領)の時代に犯罪の厳罰化が進んだのは、黒人を刑務所に「隔離」するための“陰謀”ではなく、犯罪への対処が求められていたからだ。

 もうひとつは、犯罪の厳罰化を求めたのが黒人の政治家や社会活動家だったこと。1960年代に強盗・麻薬密売、第一級殺人犯への最低刑期を延長するよう運動を行なったのは、ハーレムの黒人活動家や、NAACP(全米有色人種地位向上協会)の犯罪対策市民運動だった。ハーレムの住民たちは、自分たちの地域で急増する犯罪に対して、警官の増員とよりきびしい処罰を政府や自治体に要求したのだ。

 さらなる「不都合な事実」は、黒人の暴力犯罪の割合が他の人種よりも高く、「アフリカ系アメリカ人の殺人による逮捕率は白人の7~8倍、強盗による逮捕率は10倍」であることだ。こうした犯罪は黒人が黒人に対して行なうことが多いため、社会問題として注目されることはない。

 黒人は構造的人種差別の「被害者」だとして、その権利を取り戻す運動でヒーローとなった「歴史家」のケンディは、歴史的事実を無視して、人種差別的な警察(現在では多くの地域で白人よりも有色人種の警官が多くなった)や黒人を不均衡に収監する刑務所の予算削減を主張している。だがこれでは、(投獄の原因になる)薬物犯罪だけが問題になり、黒人社会を脅かす暴力犯罪に対処できないとラマスワミは指摘する。

 これはもっともな主張に思えるが、こうしたデータに基づいた議論を白人がすると、リベラルからたちまち「レイシスト」と罵倒されてしまう。だからこそ、ラマスワミのような有色人種(POC)のイデオローグが「アンチリベラル」の先頭に立つようになったのだろう。

「21世紀において、すぐれた被害者カードを切ることは、西部開拓時代に銃を抜くことと同じ意味をもつ」

 今日のアメリカでは、一流大学の入学願書でもっとも重要なチェック項目は「被害者」だという。 

 ラマスワミの友人はハーバード大学を志望する学生の面接を行なっているが、彼女が1日に9人の受験生を面接したときは、そのうち7人が自分が受けた(教師、コーチ、あるいは両親や年長の家族・親族などからの)虐待経験と、その苦悩について語りはじめたという。彼女はそのようなことを尋ねたわけではないのに、受験生が最初に選んだのは「被害者の物語」だった。――高額の報酬を得ている受験コンサルタントが、受験生たちにそのようなアドバイスをしているのだろう。

 アメリカ人は互いに会話する場合、ますます「弱者(マイノリティ)」を傷つけないように配慮しなければならなくなった。「言ってはいけない」ランキングのトップは、人種やジェンダーなど異なるヒト集団が、生まれつき異なる特徴をもっているという疑問だ。

 しかし、ラマスワミはリベラルな友人たちから、彼が「有色人種の保守派」だという理由で、秘密をこっそり打ち明けられることがあるという。自分がいかにリベラルであるかを強調し、このことをけっして口外しないと約束させたうえで、「男と女のあいだ、あるいは異なる人種のあいだで、精神的な特徴に生物的なちがいがあるのではないかと疑っている」と告白するのだ。そして、禁じられた考えを安心して話せたことに安堵するのだという。

「言ってはいけない」ことがとめどもなく増えていき、公の場で意見を述べなくなる社会の必然的な帰結は、国民の大多数が実際には信じていない政策を、政府が誰もが信じているように見せかけて実施することだ。だが科学的に誤った信念にもとづいて公共政策を策定すれば、それは新たな不平等を生み出すだけだろう。

 さらなる問題は、社会的な不正(構造的な人種差別や性差別)の被害者であることでステイタスを手に入れられるなら、誰もが「被害者としてのアイデンティティ」を競い合うようになることだ。「21世紀において、すぐれた被害者カードを切ることは、西部開拓時代に銃を抜くことと同じ意味をもつ」ようになったのだ。

「同性愛者の黒人女性、異性愛者の中国系女性、同性愛者の白人男性、トラックを運転する異性愛者の白人男性が集まったとすると、なにが起きるだろうか」とラマスワミは問う。この場合、もっともステイタスが高いのは、「同性愛者」「黒人」「女性」という3つの「被害者の属性」が“交差”する者で、異性愛者の中国系女性と同性愛者の白人男性が2番目のステイタスをめぐって微妙に競い合い、白人労働者階級の男性が仕事を失ったことを述べると、「白人特権」を享受しているのだから自己責任だと嘲笑される――。

 トランプ政権が「アンチリベラル」「アンチWoke」の大統領令を乱発している背景には、「被害者意識」が権力への道になるステイタスゲームにおいて、非大卒の白人労働者たちがもっとも不利な立場に追いやられているという現実がある。