「フェアネス」=善なのか

 店舗は、第1期には、顧客との「合意」を忠実に守ったとみることができる。約束を守ることは良いことのようにみえるが、果たしてこれは望ましい結果につながったのだろうか。

 コメを切実に必要とし、多少高くても仕方ないと考える家計と、さほど切実ではなく、値段が高ければ今回は購入を見合わせようという家計がいたとする。

 価格が完全に伸縮的であれば、切実な家計の需要の強さを反映し価格は引き上げられ、そうなれば、切実でない家計は購入を諦め、コメは切実な家計の手元に無事届くことになる。これが価格メカニズムの威力だ。

 一方、店舗が「合意」を守って値上げを躊躇(ちゅうちょ)するという意味で価格が粘着的な場合は、前者の家計だけでなく後者の家計も店舗に押し掛け、どちらの家計の手にコメが渡るかは早い者勝ちで決まってしまう。

 その結果、切実な家計にコメが渡らないという理不尽なことも場合によっては起きてしまう。

「フェアネス」にもとづく合意は、災害などの混乱に乗じて漁夫の利を得ようとする店舗をけん制し、公正な状況を生み出すことに貢献する。他方で、価格の需要への反応が鈍くなるので、価格メカニズムを通じた資源配分効率は悪化する。24年夏の米騒動では、そのような公正と効率のせめぎあいが生まれたと考えられる。

 では、昨年夏以降の米騒動の経験は、今後の対応についてどのような含意をもつだろうか。