ネガティブケイパビリティ(編集部注/不確実性や未知なるものを許容する能力のこと)どころの騒ぎではない仙人の境地……十中八九の人は、少しでもうまく立ち回ることのほうを志向するものです。学歴を取り巻く諸説が、いまだに廃れずそれなりに人びとの語り草になっているのは、よりよく生きるための探究の話であり、かついずれの論点(争点)もいまだ答え(ハック術)が出ない話題だからだと推察します。
JAXAの宇宙飛行士募集要項
「学歴不問」に一瞬の夢を見た
ちなみにこの両面性というか、多面性のある議論というのは、議論を終わらせないための魔法にもなります。わかりやすくどちらか一方の論に軍配が上がるようでは、こんなに長年の論争になっていないはずです。
意見が割れている状況だからこそ、学歴社会論争は続くよどこまでも。
そういえば、JAXAが2021年に宇宙飛行士募集要項の内容を改訂し、学歴不問となった年の採用結果が物議を醸したことがありました。

「JAXAをめざして入れなかった恨みでもあるんでしょうか?」というくらい、JAXAひどい!との意見や、当たり前だろ、などの意見も散見されました。が、お気づきのとおり学歴不問とは、機会の平等の話です。「学歴というシグナルだけを受け取って判断しませんよ」という声明です。
ただし、宇宙飛行士に求められる職務要件はかなり明確なほうでしょうから、知力その他の緻密な選抜の結果、「結果的に」学力試験の偏差値どおりに並んでしまったとしても何ら不思議ではありません。
世の学歴批判は少なからず「不平等」という言葉に向けられるものですが、その中身がはたして機会に対してなのか、結果に対してなのかを考えさせる事例の1つと言えましょう。
