それは一言で言ってしまうと、「子どもをつくらずにお国に貢献していない人々は、カネを払って貢献せよ」という国家主義だ。
実は歴史を振り返ると、「独身税」のように独身からカネを徴収して、子ども支援や少子化対策に回しましょうという制度は山ほどある。ただ、問題はその多くが全体主義国家で生まれていることだ。
わかりやすいのはイタリアだ。ムッソリーニが議会で実施的な独裁体制を宣言し、議会政治が消滅した1925年、かの国では「独身税」の導入に踏み切っている。
「伊太利では、家庭を作ることを奨励して、千九百二十五年から、独身者には独身税をかけることにしました。(中略)この独身税の税金は、全部、大蔵省の独立会計になつて居つて、母性児童保護事業の機関に、そつくり廻されます。つまり、子どもを生ませる資金になつて居るのです」(伊太利の組合制国家と農業政策 下井春吉 ダイヤモンド社 48ページ、旧字体は新字体に変換)
同じくファシズムのナチスドイツでは、子どもを増やすために「結婚資金貸付金」として結婚した夫婦に無利子で融資をしたが、その財源は独身から巻き上げたカネだった。
「これは未婚者に対して課する結婚補助課金収入によつている。此の結婚補助課金は立案者ラインハルトの見解によれば、独身税又は独身手数料と見做さるべきではなく、結婚に対する独身者の援助である」(ナチス経済建設 長守善 日本論評者 290ページ)
当時、イタリアもドイツも、そして日本でも共通していたのは、「国家主義」である。国家の発展のためには、国民は自由や権利を制限して奉仕をしなくてはいけないという社会なので、結婚や出産にかかるカネは、国家に貢献していない独身が負担するのは当たり前という結論になるのだ。
そして、この思想は100年経過した令和日本でも脈々と引き継いでいる。
なぜ配偶者控除や扶養控除のように独身を冷遇した制度が残っているのか、なぜ子どもを持たない独身者たちが「子どもまんなか社会」のために、税金を払わなくてはいけないのかというと、すべては「日本人なら、お国のために、産めよ増やせよに協力せよ」という思想が現在進行形で残っているからなのだ。
さて、こういう話をすると「そんなもんに金が払えるか!子ども家庭庁を解体して浮いたカネを独身に配ったほうがよほど少子化対策になる」と考える人も多いだろう。