
戦争被害もままならない中
1946年の年末を襲った悲劇
時は流れて2カ月後。昭和21年(1946年)12月22日。出勤途中ののぶは八木に新聞を見せられる。
1面に西日本で大きい地震があったと書かれていた。和歌山と高知で被害が大きい。
鉄子も高知出身なので動揺していた。
こういうときの定番セリフ「情報が錯綜していて」(世良)
電話もつながらないのでラジオのニュースで様子を聞くしかない。
「えらいことになった…」(鉄子)
のぶは家族を心配する。最後に頭に浮かんだのは「心配や たっすいがやき」と嵩のことだ。たっすいがだからうまく回避できたか気になるのだろう。いやでも戦場で生き残ってきた人なので。
高知新報社内でもいろんなものが倒れている。東海林、琴子、岩清水(倉悠貴)は無事だった。でも嵩の行方がわからない。
空襲で焼け残った建物が倒壊しているという東海林の言葉が印象的。そう戦争の被害がまだ癒えていないときに大地震が起こったのだ。これが実際にあったことだと思うと当時の人たちはどれだけ大変だったことであろうか。そういうところから立ち直ってきて今があるのだ。
東京でのぶは何もできずただ不安に苛まれている。傍らには『月刊くじら』8月号がある。最新号は買わないのか。送ってもらえないのか(お別れの編集後記も書いているのに)。と思ったが、8月号であることに意味があるのだろう。
のぶをモデルにした表紙の絵を見つめ、それから鏡に映った自分を見るのぶ。
嵩がのぶをモデルに描いた絵=嵩の気持ちを、いまこそのぶは感じはじめているのだと思う。
嵩はやなせたかしがモデルなので無事は保障されている。地震はショックだが手嶌治虫(手塚治虫がモデル)の登場にはワクワクした。