そして注目すべきは、参政党支持者たちの主張とこの「日本主義支持者」たちの主張が不気味なほど重なっているという点だ。
戦前の「日本主義」と「参政党躍進」
“これから起きること”は予測できる
メディアも多く報じているのでご存じの方も多いだろうが、参政党は天皇中心の国家を理想として、公益のためには個人の権利や自由はある程度、制限すべきという。これはどういう言い訳をしても「全体主義」である。
そして経済政策に関しては「国家統制」と「反グローバリズム」を基本としている。日本経済は消費税によって疲弊したので、消費税をなくせば経済が上向く。国が積極財政でじゃんじゃんカネをバラ撒けば経済活動も活性化される。そこには自由競争などの市場原理という視点はない。国が強力に経済をコントロールするという旧ソ連の「計画経済」を思わせるような統制ぶりだ。
このような参政党支持者の「全体主義」と「統制経済」という思想は、1930年代の日本主義支持者にも見られる。前掲書を引用しよう。
「日本主義も、左翼に劣らず社会の欠如を指摘し、その改造を望んでいますが、同時にその社会的欠陥の原因として西洋的な個人主義そそれに基づく自由主義を攻撃しています。こうして日本主義、日本精神の強調は、利己的個人主義への反対、すなわちいわゆる全体主義の主張になるのです」
「日本主義によれば、全体主義は個人の立場を没却した機械的な平等論ではありません。中心に皇室を高く戴いた上で、国民全体にその個人的使命を遂げさせようというのです」
要するに、日本主義というのは資本主義・自由主義を否定した天皇中心の全体主義国家を目指すという考えなのだ。経済政策に関しても、「皇道経済論」という統制経済を掲げている。
「日本主義が全体主義の立場をとる以上は、その皇道経済論は当然ながら一種の統制経済となります。実際、日本主義は、いずれも例外なく、何らかの形で経済が統制されるべきであると力説しているのです」
さて、このように1930年代の「日本主義」と2025年の「参政党大躍進」の共通点を見ていくと、歴史の教訓からこれから起きることもある程度、予測ができる。