
米トランプ政権の関税交渉で主導的な役割を務めているスコット・ベッセント財務長官が言及したことで、ブレトンウッズ体制が再び注目を集めている。前日本銀行総裁の黒田東彦氏が執筆するダイヤモンド・オンラインの連載『黒田東彦の世界と経済の読み解き方』の今回のテーマは、ブレトンウッズ会議とIMF(国際通貨基金)創設。今から約80年前に誕生した国際金融体制はどのように始まり、なぜ終焉(しゅうえん)を迎えたのか。
約80年前に創設が決まったIMF
ブレトンウッズで何が議論されたのか
IMF(国際通貨基金)は1944年7月、米国ニューハンプシャー州のブレトンウッズに連合国44カ国代表が参加して開かれた国際通貨金融会議で創設が決まった。このブレトンウッズ会議では、IMFと世界銀行(国際復興開発銀行)の創設が決定されたので、「ブレトンウッズ体制」といえば、広い意味ではIMFと世銀の両者を含む国際金融体制を指すが、狭い意味ではIMF、なかんずく、その金ドル本位制を指している。
このIMFの金ドル本位制は、金を最終的な決済通貨としつつも、通常の国際取引ではドルを使用する国際通貨制度だ。19世紀後半から第1次世界大戦まで続いた国際金本位制(金ポンド本位制)のポンドをドルに代替したものだといえよう。
国際金本位制が崩壊した後、両大戦間の国際通貨体制は混乱し、世界大恐慌の下で保護主義とブロック経済がはびこり、第2次世界大戦につながったとの反省から、米国主導で金ドル本位制の導入が決まったのであった。
実はブレトンウッズ会議に先立ち、米英はニュージャージー州アトランティックシティーで開催された準備会合において、金ドル本位制で事実上合意していたのである。
英国代表の経済学者ジョン・メイナード・ケインズ氏は、国際金本位制の破綻の教訓を踏まえて、バンコールという国際通貨(後のSDR(特別引き出し権)に類似した人為的な国際通貨)を中心とした国際通貨制度を主張したのだが、米国代表のハリー・デクスター・ホワイト財務次官補はこれを拒否し、金ポンド本位制に似た金ドル本位制を主張したのだった。
英国としては不満足だったものの、IMFにおける為替レート変更の必要性や経過措置などの条項で米国から一定の妥協を引き出したこともあって、ポンドに替わってドルに高い地位を与える金ドル本位制を受け入れたのである。