30年間の停滞が起きたのは
出てくる芽を摘み続けたから
先駆者がロールモデルとなり、挑戦を促し、その成功がまた次の挑戦につながっていく。その好循環が松尾研でも生まれているわけですね。そうした成功事例が出るまでには、どのような苦労がありましたか。
最初のうちは「スタートアップを始めて本当にうまくいくのか」という疑心暗鬼が先に立つ学生も多かったです。私がやっていたことは、学生をシリコンバレーに連れていくことでした。向こうの空気を吸うと、技術がいかに大切かわかりますし、挑戦することがいかに大事かも身に沁みてわかる。そして楽観的になって、自分も挑戦してみようという気になるんです。
研究室の運営に関しては、私は日本に戻ってから、国からの研究費に頼るのをやめようと決めました。その決断が大きかったと思います。企業との共同研究や寄付で運営していくことにしたのですが、当初はなかなか資金が集まらず大変でした。自分を見つめ直して、社会における価値を問い直し、試行錯誤してきたことが、いまの松尾研の活動につながっています。
後は、文化的な阻害要因ですね。日本では、新しいことに挑戦する人、その結果成功した人に対して、周りからネガティブなことを言う人が出てきたり、足を引っ張られたりすることが少なくありません。たとえば、会社では「それは、いかがなものか」という役員の一言でチャレンジが止まってしまう。メディアが成功者を持ち上げて落とすことも相まって、そうした「出る杭を打つ」文化が、せっかく生まれようとしているイノベーションの芽を摘んでしまう。
ですから、変な阻害要因が起こらないようにすることが大事です。人や組織は本来、内なる力、成長する力を持っています。子どももそうですよね。周りが変に止めようとするから、本来の能力が出せないんです。逆に言うと、周りが止めなければ、自然に成長します。会社も成長するポテンシャルを持っているのに、過去の成功体験とか組織内の政治力学とか、変な要因で阻害してしまうから成長しない。
そういうことが日本のあちこちで起こっている。だから、30年間も経済成長しなかったのだと思います。出てくる芽を摘んで、伸びてきた木を切るようなことはやめて、いい環境を整え、じっと見守るだけで木が育ち、森が生い茂ります。
京都には世界的企業がたくさんありますが、ほとんどが戦中・戦後にできた会社だし、日本の自動車メーカーだって戦後のある時期に急速に伸びた。そういう企業がたくさん出てきて、互いに切磋琢磨して成長するというのは、日本の歴史の中では当たり前のことだと思います。
松尾研を中心にアントレプレナーや研究者、企業関係者、投資家などが集まるスタートアップコミュニティが形成され、松尾研の講座受講者は年間2万人を大きく上回っています。そのネットワーク効果は大きいですよね。
そうですね。松尾研の講座は単なる座学に留まらず、実際にデータを使ってAIを学習させる、企業の戦略提案につなげるなど、社会ですぐに通用する実践的なプログラムを組んでいます。東大生以外にも開放していますから、他大学は言うに及ばず、最近では高校生、中学生の受講者も増えています。