だが、避難で疲れきった住民からは、容赦ない罵声が飛んだ。

「何だおめえら」
 「うるせえ、寝れねえな」

原発事故と知的障害者 <br />終わりなき流転の物語毎日、決まった時刻に集まって食事する知的障害者の利用者=福島県いわき市の東洋学園成人部で(2013年5月2日)

「これ以上、住民に迷惑はかけられない」。翌13日朝、職員は決断する。わずか一晩で体育館からの退去が決まった。新たな避難先は、田村市にある知的障害者の通所型事業所だ。東洋学園と東洋育成園は2日間で3回、避難先を変えたことになる。

 田村市へ向かうマイクロバスを運転していた三瓶佳治さんは、途中、信じられない光景を目にする。避難経路を誘導していた自衛隊や警察官が、全身白い防護服に身を包んでいたのだ。

「情報が何にも入っていなかったから、感染症でも発生したかと思った。ずいぶん危険なことになったんだと、その時思ったね」

“決死隊”避難指示区域へ

 利用者はてんかんなどの持病を持つ人が多く、発作止めや精神安定剤などを常時飲んでいる。薬が切れれば情緒不安定になり、発作が連続すれば死に至ることもある。避難者にとって薬の確保は大きな課題だった。

 職員や看護師が、薬局や精神科がある病院を駆け回った。

 中でも、あぶくま更生園の薬不足は深刻だった。1号機爆発で急に避難を始めたため、数日分の薬しか持参せず、しかも処方箋を置き忘れていた。

 そこに利用者の体調悪化が重なった。30代の男性利用者が発作で救急搬送されたことを皮切りに、数日間で4~5人が立て続けに発作で倒れた。幸い命に別状はなかったが、普段は発作を起こさない人もおり、避難生活でストレスがかかったことが原因だった。薬が底を突く危機感が強まっていた。

「薬局や病院に薬を頼んでも、処方箋がなければ投薬も何もできないんですよ」。施設長の三瓶直人さん(54)は、処方箋を取りに戻ることを決意する。