辻嘉六の影響力や遺産は
娘のトシ子に引き継がれたが…

 辻嘉六が、戦後の政治家で誰を信用していたかというと、本当は鳩山なのです。いわゆる翼賛選挙が1942年にありました。翼賛政治体制協議会から推薦を受けた親東條(英機)の候補者と反東條(非推薦候補)の戦いです。(日本軍が)シンガポールの戦いで英国軍を降伏させた直後の選挙でした。

 そのときに鳩山は反東條で戦った。あんまり最近の政治のことは話したくないんだけど、安倍晋三は「戦後の政治家はみんな米国の言いなりだ」と言うが、そうではないんです(編集部注:このインタビューは2021年5月20日に実施した)。鳩山は戦争中に軍人と戦うぐらい反骨心があった。吉田だって(戦争終結を模索して憲兵に)拘束されている。安倍は「戦後の政治家はみんな悪だ」とレッテルを貼っているだけなのです。

 戦後、活躍した政治家は戦前から軍人と戦ってきた人たちです。吉田にしろ鳩山にしろ、石橋湛山にしろね。石橋なんて「満州を返せ」と言っていたんですから、大東亜共栄圏なんて馬鹿なこと言うなってね。そういう人たちが戦後、世に出てきた。もちろん米国の影響があったことは否定できませんが。

故・藤井裕久元財務相ふじい・ひろひさ/1955年大蔵省入省。官房長官秘書官、主計官を務めた後、77年参議院議員選挙で当選。90年に衆議院に転じ細川・羽田内閣で蔵相。政界を一時引退したが民主党政権誕生で鳩山内閣の財務相。2012年政界引退。22年7月10日死去 Photo by H.S.

――辻嘉六氏が果たした役目を一言で言うと、何でしょう。

 娘のトシ子も含めて、鳩山、吉田政治というものを定着させる努力をされた方だと思いますね。

 つまり平和主義者です。保守本流というのは、本当は平和主義なんです。

――後に続く、池田勇人や佐藤栄作もですか。

 皆、平和主義者です。

――戦前、戦中から、日本にも軍部の方針に反対していた政治家がたくさんいたわけですね。

 その通りです。だからね、翼賛選挙で、85人が反東條で当選している。

――開戦初期の高揚感がまだあって、イケイケどんどんの空気の中で。

 その当時でも反東條が(当選した議員の)2割もいたことは驚くべきことです。だから日本人は馬鹿にしたものじゃないと私は思う。その思想を継いだのが、嘉六の娘であるトシ子だと思います。彼女には戦争を仕掛けるのがいいとか、戦争やってでも国土を増やすべきだなどという発想はない。平和主義者です。

――辻トシ子氏から、お父さんのことを聞いたことはありますか。

 それは一切ありませんでした。やっぱり昔のことは話したくない面もあったのではないでしょうか。

――明と暗の両面があるのでしょうね。

 辻嘉六のことで取材させてほしいと記者から頼まれても断っていると言っていました。

 辻トシ子は、おカネのことも私には一切言いませんでしたが、実際には、お父さんの遺産はあったと思います。

――お父さんの遺産も、影響力も受け継いだけれども、そこはあんまり明かしたくなかったと。

 そういうことです。

Key Visual by Noriyo Shinoda