Photo by Hirobumi Senbongi
「永田町の女帝」といわれたフィクサーがいた。吉田政権下の与党・自由党の重鎮7人による幹部会に秘書として唯一、出席を許され、池田勇人、佐藤栄作といった歴代首相と対等に渡り合った。その名は辻トシ子。自民党のかつての名門派閥、宏池会の陰の権力者となり、政界を動かした。彼女と実の姉弟のように付き合っていたのが、故藤井裕久元財務相だ。『昭和の女帝 小説・フィクサーたちの群像』のモデルである女性秘書の謎に迫る、特集『小説「昭和の女帝」のリアル版 辻トシ子の真実』の#7では、生前の2021年5月に同氏に、辻トシ子の知られざる権力の秘密について語ってもらったインタビューの内容をお届けする。政界の「真の序列」とはどんなものだったのか。(ダイヤモンド編集部副編集長 千本木啓文)
大蔵省、通産省などの幹部人事を左右した「女帝」
彼女が主催する会では官僚らが合唱していたが、その裏では…
――辻トシ子氏とは、いつ知り合ったのですか。
50~60年前です。僕の親父が、辻トシ子の父の辻嘉六の主治医だったことから、「あの先生の息子さんね」ということで始まりました(辻嘉六についての詳細は、本特集の#5『「昭和の女帝」の父で“政界最大の黒幕”と呼ばれた辻嘉六…自民党のゴッドファザーとなった最後の“大陸浪人”のカネとオンナ』参照)。
辻トシ子が、益谷秀次(第2次吉田茂内閣で建設相、その後、衆院議長、自民党幹事長を歴任)の公設秘書になった1951年は、まだ僕は学生でした。
実際に、辻トシ子を知ったのは、岸信介内閣のときです。僕は当時、大蔵省から首相官邸に出向して、災害対策基本法を作っていました。上司は(内閣官房長官だった)椎名悦三郎です。副総理だった益谷の正規の秘書官が辻トシ子でした。僕なんかより全然偉い。それでも、よく付き合ってくれました。
そこから長い間、観念論じゃなく、実際に付き合ってきました。辻トシ子からすれば、「藤井先生の坊ちゃん」という感じだったのでしょう。
――そもそも辻トシ子氏はなぜ32歳で政界に飛び込み、益谷氏の秘書になったのでしょうか。
第一に、お父さんが、政界の黒幕と呼ばれた辻嘉六だったことが大きい。辻嘉六が1948年に亡くなってから2年後に、(若手の頃から辻嘉六の支援を受けていた)林譲治(第1次吉田内閣で内閣書記官長〈現在の内閣官房長官〉、その後、副総理、衆院議長を歴任)が、辻トシ子に「益谷の秘書になれ」と言ったことは歴史的な事実として残っています。
――辻嘉六氏の娘に、どうやら頭の切れる人がいるぞと、噂にでもなったのでしょうか。
でしょうね。(彼女の活躍が目立つので、秘書と代議士の立場が逆転して)「辻大臣、益谷秘書」「辻幹事長、益谷秘書」なんて雑誌に書かれたことがありました。
――当時の写真を見ても、益谷氏と辻トシ子氏とでは立場が同等のように見受けられます。秘書と代議士が並んで、こういう座り方は普通はしないのではないでしょうか。
そりゃそうだ。
国会内の衆院議長室で寛ぐ辻トシ子と益谷秀次議長(1955年6月撮影)
――辻トシ子氏は「並の秘書ではないな」と思う場面はありましたか。
岸政権の後も、僕は官邸にずいぶん引っ張り出されました。佐藤栄作政権では、竹下登(官房長官)の秘書官をやりましたが、そのとき、辻トシ子は(首相の)佐藤と同等(の扱い)でしたね。竹下官房長官は(辻トシ子の前では)直立不動でしたよ(笑)。
――なぜそこまで権力が持てたのでしょう。
やはりお父さんの影響力だと思います。辻嘉六が、益谷みたいな偉い人にどれだけおカネを配ったか知りませんが、少なくとも若手の政治家には「(押し入れに入れた札束を)好きなだけ持ってけ」と言っていた(詳細は本特集の#6『なぜ政界のフィクサー・辻嘉六は鳩山一郎と吉田茂に巨額資金を渡したのか?陰の実力者誕生の経緯を藤井元財務相が激白』参照)。戦争中、悪いことをやって稼いだカネを全部まっとうな政治家たちにばらまいたのです
――お父さんの影響力を受け継いだ辻トシ子氏が後の日本の復興に果たした役割とは何だったのでしょう。
それは……、大きいです。
――具体的に何をやったか、あまり知られていません。
秘書仲間の会があるんです。辻トシ子は副総理の秘書官ですから格上です。ヒラ大臣の秘書である僕たちはその他大勢ということになります。秘書の会の中でも、辻トシ子は当時から顔が広かった。やっぱり益谷、林という、吉田グループ、あるいは鳩山グループの中心人物といってもいいかもしれない人たちに推されて秘書になっているから背景が全然違ったのです。
――それで、いろんな調整事を任されていた。
それは事実だと思います。やっぱり辻嘉六の後光が差していた。それと同時に、辻トシ子にも能力があったんですよね。
――岸内閣の頃が、辻トシ子氏の権力のピークですか。
ピークはやはり佐藤政権でしょうね。佐藤は非核三原則でノーベル平和賞をもらいました。「非核」なんていうのは米国には通用しません。一方、沖縄返還は米国の協力がなければできっこない。佐藤が偉いのは米国と喧嘩しながらも、沖縄返還を実現したことです。(喧嘩しながら協力もさせる)外交における両刀使い。今の政治家で、それをやれる人はいません。
――辻トシ子氏は米国にも人脈を持っていました。沖縄返還など、対米外交にも関わっていたのでしょうか。
次ページでは、「大蔵省のタニマチ」と称され、中央省庁の幹部人事さえも左右した辻トシ子氏の影響力や、彼女の権力の秘密などを藤井氏に語ってもらった。田中角栄元首相や、戦後最大のフィクサーともいわれた児玉誉士夫氏と辻トシ子氏との関係についても聞いた。
昭和の女帝
小説・フィクサーたちの群像
千本木啓文著
<内容紹介>
自民党の“裏面史”を初めて明かす!歴代政権の裏で絶大な影響力を誇った女性フィクサー。ホステスから政治家秘書に転じ、米CIAと通じて財務省や経産省を操った。日本自由党(自民党の前身)の結党資金を提供した「政界の黒幕」の娘を名乗ったが、その出自には秘密があった。政敵・庶民宰相との壮絶な権力闘争の行方は?













