予算の割り振りや陳情の処理も
辻トシ子の鶴の一声で「すんなり決まっちゃう」

 そこまでは僕は分からない。でも、佐藤が辻トシ子を評価していたことは事実です。

 お父さんはお亡くなりになっていたけれども、林とか、益谷は生きていました。何よりも鳩山一郎も吉田もまだ元気だった。こういう人たちの影響力は絶対大きいですから。佐藤も、辻トシ子に敬意を表さないとえらいことになると分かっている。人間関係ですから、政治なんていうのは。

――辻トシ子氏と接してどんな印象でしたか。例えば、頭の回転が速いとか、特徴はあるのでしょうか。

 頭は切れますし、特に、歴史に通じていますよね。要するに、自分がやってきた歴史です。「吉田はね」とか、「鳩山はねえ」って、仲間みたいなお話でした。

 それと、誰がどういう立場なのかといった全体のバランスが頭に入っていた。例えば、僕は鳩山威一郎(鳩山一郎の長男で、大蔵省の事務次官を務めた。大蔵官僚だった藤井氏の上司に当たる)に(選挙に出馬しろと言われて)政治の場に引っ張り出された。つまり鳩山家とは非常に近しい関係にありました。そういうことを全部知っているんです。

 それと同時に、(各組織の中で)誰に将来性があるとか、この人はもうお終いねとか、そういうのは皆頭に入っていました。そういう頭の良さを持った方だったと思います。

故・藤井裕久元財務相ふじい・ひろひさ/1955年大蔵省入省。官房長官秘書官、主計官を務めた後、77年参議院議員選挙で当選。90年に衆議院に転じ細川・羽田内閣で蔵相。政界を一時引退したが民主党政権誕生で鳩山内閣の財務相。2012年政界引退。22年7月10日死去。 Photo by H.S.

――だから、大蔵省や通商産業省の官僚も頭が上がらないのですか。

 そうです。

――省庁側が、辻トシ子氏を頼ったことはあったのでしょうか。政治家からの要請をどうさばくかとか、どこに予算を付けるかといったことの調整を依頼したことは。

 それはあんまり表に……。一言で済んじゃうんだよね。そういう話は、グジャグジャやる話じゃないから。辻トシ子が一言いえば、それで済んじゃう。

――大変そうな案件も、辻トシ子氏に話を持っていくと、もうポンと。

 そういうこともありました。辻トシ子が普段からそういう付き合いをやってるので、割にすんなり決まっちゃうのです。だから……、小さなことはあんまり言いませんでしたよ、辻トシ子は。

――役所の人事にも影響力を持っていたのですか。

 現実はね。持ってたと思います。例えば「あの人駄目ね」っていうようなことを一言いうんですよ。

――そう言われてしまうと、もう出世できないのですか。

 そういう影響力を持つ人になってしまっていたんですね。

――長くいるほど力が高まるのが政界です。1961年に辻トシ子氏が日本自転車会館(在日米国大使館の目の前にあったオフィスビル。宏池会も入居していた)に事務所を構えて独立してから、同ビルが解体される2013年まで50年以上、永田町や霞が関に目を光らせていました。その間に、辻トシ子氏の株がますます上がっていったのではないでしょうか。

 その通りです。

佐藤首相と同格の扱いを受けた辻トシ子だが
その次の宰相・田中角栄とは疎遠

――逆に、力を落とした時期はあったのでしょうか。

 角さん(田中角栄)とはあまり付き合いがなかったと思います。

――田中氏が自民党幹事長や首相を務めた頃は、辻トシ子氏の時代ではなくなっていたのですか。

 でしょうね。僕が、角さんの弟子だということ(藤井氏は田中派に属していた)はご存じなのに、角さんの話は全然されませんでした。

――辻嘉六氏は、日本自由党の結党資金を鳩山一郎氏に提供しました。その原資を用意したのは、戦後最大のフィクサーといわれた児玉誉士夫氏です。辻嘉六氏と児玉氏はじっこんの間柄でした。では、児玉氏と辻トシ子氏との関わりはあったのでしょうか。

 これはね辻トシ子は一切語っておりませんので、児玉は、辻嘉六とのいろいろな縁があったということは事実としてうかがっていますけれども、辻トシ子からは児玉のことは一切聞いたことがありません。

――意識的に一線を引いていたのでしょうか。

 縁が切れてたのか、僕たちの知らない世界で付き合ってたのか、それは僕には分かりません。

――児玉氏が巣鴨プリズンから出所した日に、ちょうど辻嘉六氏の葬儀をやっていて、遺産相続でもめている辻トシ子氏をはじめとした子供たちをビンタしたとか、辻邸の庭に埋めてあったラジウムを掘り起こして米軍に提供したというような話を、児玉氏がインタビューなどで語っています。

 それは知りません。

――児玉氏がこの他、大日本航空の経理部で働いていた男性と辻トシ子氏を結婚させたと同じインタビューで語っています。

 僕らの世界では、男女のことは一切ないし、児玉のことも一切ないし、カネのことも一切ないんですよ。大蔵省の会などで(辻トシ子の下に)集まって、歌を歌って愉快にやっていただけです。

――分かりました。辻トシ子氏は一度、結婚されていたみたいですが、政界で働き始めて、離婚した後はもう、家庭を持つとか、いわゆる一般的な幸せとは……。

 それとはもう違う世界ですよね。大体その頃、正規の秘書官になるのは大変なことで、他に女性はいませんでした。

――首相官邸は男性ばかりでしたか。

 男ばかりです。女の人はいませんでした。昨今「女性の活躍」ということがいわれますが、まさにその先駆けだったのだと思います。(本文一部敬称略)

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