7000万円とダイヤモンドとプラチナを
児玉が辻嘉六に提供した理由とは?

 巨額の資金を鳩山に提供することになった経緯について、まず児玉の自伝の記述から見ていこう。

 児玉によれば、米内はこう言った。「それ(児玉機関の財産)を受け取る海軍は、もうこの日本にいなくなった。むしろこの際、多数の君の旧部下が路頭に迷わぬよう、生活の面倒をみてやってほしい。もしも残る幾分かがあれば、なにか国のためになることに使ってもらいたい」。米内は、大きな裁量を児玉に与えたことになっている。

 すると、それから数日後、「辻老人がじぶん(児玉)をたずねてみえた」。辻嘉六は、大演説をぶったという。「君も充分承知のとおり、これまでのわが国政党は、どれもこれもあまりに腰抜けで、ひどくだらしがなかった。こんにち日本が、このような不幸をまねいたのも、要するに政党および政治家どもの重大責任である。そもそもかれらは、本来の立場を忘れ、無定見な木偶のぼうと化し、イチからジュウまで軍部の言うがまま、踊らされるがままになって来たからである。しかし、これからの日本は、たとえふたたび軍隊とか、軍隊らしいものができたにせよ、これに屈服し盲従しないだけの、毅然とした力強い政党が必要だし、政治家もまた、新生日本にふさわしい人が選ばれねばならぬ。(中略)こういうどさくさの最中、政党の資金のこととなると、君以外さし当たり相談の持って行き場所もない。また、それほど大きなカネを、おいそれと出し手もあるまい。そこでなんとか、君の持っているカネを、再建工作の資金として使わせてはもらえんだろうか……」。

 この演説は、当時34歳の児玉の胸を打ったようだ。児玉は「(間もなく)70(歳)とは思えぬ気魄(きはく)に満ち、しかも必至の形相であった。そこにじぶんは、この人から青年らしい情熱をも感じ取った」と記している。

 ただし、辻嘉六の思いは理解したものの、すぐに承諾することはなかった。財界と結託していた戦前の政党に対する不信感が残っており、簡単には乗り気になれなかったのだ。

 児玉をその気にさせるため、辻嘉六は時に激しい口調で、時にはしみじみと、新時代にあるべき政党の姿や鳩山という人物について語り続けた。児玉は熱弁に耳を傾けているうちに、心の奥底にあった既成政党や政治家へのわだかまりが解けていったという。

「ならば、本人に会ってみてくれ」という辻嘉六から請われ、児玉は鳩山の元を訪れた。麻布の石橋正二郎(日本タイヤ〈現ブリヂストン〉社長)の屋敷で、辻嘉六を加えた3人で会談したのだ。児玉から見た鳩山の態度は謙虚で、率直な話しぶりだったという。

 鳩山から、資金提供の条件を問われた児玉は、「個人としての条件は、なにひとつありません。ただひとつ、如何なる圧迫があろうと、ぜったい天皇制を護持してください。それだけです」と答えた。鳩山の童顔からは涙があふれ、強い語調で「それは絶対、そうせねばならない」と約束した。このように自伝に記された内容は、やや美談風だ。

 これに対し、児玉が大森のインタビューで語った内容は、現実的で生々しい。まず、米内から与えられた資金の使い方の裁量が、自伝の内容よりも小さくなっている。児玉はインタビューの中で、米内が語ったこととして、「進駐軍が来れば必ず皇室の財産は没収される。そうすると皇室が今度は、外国の大使が、つまり客が来てもモノひとつあげるものはなくなるだろう。制限されるだろう。いまのうちにこれ(児玉機関の財産)は皇室に渡しておくべきではないか」と述べているのだ。

 児玉は米内の指示通り、8月18~19日ごろに皇居に出向き、児玉機関の資産であるダイヤモンドとプラチナを、宮城内の倉庫に納めた。ところが1週間後、宮内省の幹部が次のように断ってきた。

「そういうものを宮内省の金庫に入れて、天皇に渡すと天皇は困るだろう。必ず皇室が、やがて進駐軍からおこられて迷惑するだろうから、いっぺん持ち帰った方がいい」

 児玉はダイヤモンドとプラチナを取りに戻ったが、その直後に結局、米軍から接収されてしまった。とはいえ、まだ現金7000万円と、ダイヤモンドとプラチナの残り半分が手元にあった。それらを、辻嘉六を通じて鳩山に献上するのは自伝と同様だ。

 繰り返すが、自伝が出版されたのが1961年、インタビュー記事が公開されたのが1975年である。児玉は、海軍の米内に仁義を切って結党資金として提供したという、自伝に記した当初のストーリーに加えて、宮内省(現在の宮内庁)に財産を献上しようとしたことと、米軍にダイヤモンドなどを奪われたことという二つのエピソードを、インタビューでの発言で追加しているのだ。それらのエピソードの真偽は不明だが、いずれにしても、児玉はストーリーをアップデートすることで、戦後のどさくさで巨額のカネを得たことや、それを使って成り上がったことの正当性を高めようとしているようだ。

 児玉の“自分史”の正当性はともかく、戦後の保守政党の設立に対する彼の貢献度が大きかったことは間違いない。当時の7000万円を、現在の貨幣価値に換算すると390億円にもなる。

 ただし、7000万円という額には疑問もある。例えば、1953年7月2日付のCIA文書では、鳩山が自由党をつくるときに児玉が与えた資金を1000万円としている(有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』)。ただし、仮に1000万円だったとしても現在の価値では56億円であり、決して少なくはない。

 以上の自由党結党の裏面史は、辻嘉六自身が語ったり、書いたりしたのではなく、児玉など周辺の人物が明かしたものだ。辻嘉六は口が固かった。自分がやったことを喧伝しなかったからこそ有力者から信用され、黒幕やフィクサーとして、隠然たる力を持つことができた。

 辻嘉六が残した数少ない新聞記事におけるコメントに、「浪人の生がいはサバサバしたものでなければいけない、浪人が名利を求めるようになったらおしまいだ」というものがある。

 辻嘉六は検察に対しても口が固かった。戦後、昭電疑獄などで取り調べを受けたが、黙して語らず、黒いカネを受け取った政治家を守り切った。

 なお、児玉が辻嘉六からの資金提供の要請を断れなかったもう一つの理由についても述べておきたい。青山学院大学文学部史学科教授の小宮京は「児玉が戦後は表舞台に立ち、自由党の公認を得て立候補することを狙っていた可能性は十分にある」とみる。現代においても政治家になりたい候補者が、公認を得るために数千万円を用意するといったことがあるが、それに類する話である。

 戦争成金だった児玉には、カネと軍幹部とのつながりはあったが、政治家や政党との関わりは希薄だった。辻嘉六の人脈を上手く使って、政界に進出しようと目論んでいてもおかしくはない。

 だが、さすがに児玉が立候補することはなかった。戦後、米CIAなどの調べによって、児玉機関が大陸でアヘンの取引に関わっていたことが明らかになった。その機関長が、表の舞台に立つのはさすがに無理がある。結果的に、児玉の政界進出の野望は、実現しなかった。

 最後に、児玉機関の幹部の中には、同機関の財産の処分の仕方に不満があったことを記しておきたい。前出とは別の児玉の自伝『獄中獄外』の巻末に掲載されている、評論家の林房雄による「児玉誉士夫小論」で、同機関幹部のコメントが引用されている。少々長くなるが、味わい深いので転記しておく。

「児玉のところには金が集まる。だが、自分の懐には全く入れないので、貯金やかくし金などというものはない。おれは敗戦後、しばらくおくれて支那から帰って来たが、児玉は児玉機関の金の一部を同志に公平に分配したので、おれの取り分も当時の金で500万円ほどあることになっていた。ところが、それが消えてしまっている。児玉が使ったのではなく、金にだらしのない仲間の一人が使ってしまったのだ。児玉機関の莫大な財産は、半分以上は支那で没収されたし、日本に残っていたものは、辻嘉六とかいう妙な爺さんの口車に乗って鳩山一郎にやってしまったので、おれの取り分を児玉に請求することもできず、請求しても金と名のつくものは持っていないのだから、あの時ばかりは弱ったね、全く!」

 林はこの幹部のコメントについて、「今は実業家のこの快男子も嘘のつけない人物だから、この話も信用してよかろう」と評している。林は実名を伏せているが、上記のコメントの発言者は彼の朋友で、児玉機関元幹部の岩田幸雄だと考えられる。

 岩田は、ジャーナリストの岩川隆の取材に応じて、次のように語っている。

「口惜しいことがある。おれはおれなりに金をためて内地に送っていたわけだ。ところが、その後南支那海の海賊島の村長をやったりしたのち護送されて上海の戦犯収容所へ入った。そのころ、ソ連のタス通信が『岩田幸雄処刑さる』というニュースを流したらしい。それを聞いた児玉誉士夫、吉田彦太郎、高源重吉(こうげん・じゅうきち)の三人はおれが送金していた金を使ってしまったんだよ。終戦直後の金にして数百万はあったと思う。こっちがようやく内地の土を踏んだときには、すってんてんの裸にされていた。返せと言ったって返すような相手ではないからね。そういう事情を知って気の毒に思ってくれたのが、笹川(良一)さんだった。一緒に事業を始めないかと誘われ、それがこのモーターボートの競走事業になった。人間の縁というものは、いちど結ばれるとなかなかに切れないものだね。よかれあしかれ、それが人間の社会というものかもしれないねえ」(岩川隆『日本の地下人脈 戦後をつくった陰の男たち』)

 終戦直後の500万円は、現在の貨幣価値にすると28億円に上る。戦時中、上海などで死線をくぐってきた男たちの金銭感覚や、ものの考え方のスケールの大きさに感心してしまう。

 いずれにしても、戦後の日本の保守政党の復活が、硝煙と血の臭いが染み込んだ闇のカネで賄われたことは間違いない。


 

『昭和の女帝』書影

昭和の女帝
小説・フィクサーたちの群像

千本木啓文著

<内容紹介>
自民党の“裏面史”を初めて明かす!歴代政権の裏で絶大な影響力を誇った女性フィクサー。ホステスから政治家秘書に転じ、米CIAと通じて財務省や経産省を操った。日本自由党(自民党の前身)の結党資金を提供した「政界の黒幕」の娘を名乗ったが、その出自には秘密があった。政敵・庶民宰相との壮絶な権力闘争の行方は?

自民党の前身・日本自由党の結党資金390億円を提供…「政界の黒幕」辻嘉六と児玉誉士夫による秘密工作の全貌自民党の前身・日本自由党の結党資金390億円を提供…「政界の黒幕」辻嘉六と児玉誉士夫による秘密工作の全貌自民党の前身・日本自由党の結党資金390億円を提供…「政界の黒幕」辻嘉六と児玉誉士夫による秘密工作の全貌自民党の前身・日本自由党の結党資金390億円を提供…「政界の黒幕」辻嘉六と児玉誉士夫による秘密工作の全貌
『昭和の女帝』ドキュメンタリー動画