Photo:Bloomberg/gettyimages
ニデック創業者の永守重信氏が電撃的に経営の一線から退いた。折しも、不適切会計問題を巡る第三者委員会の調査が大詰めに入っているタイミングだった。半世紀にわたりニデックを率いてきたカリスマ経営者は、なぜこの局面で突如として、表舞台から姿を消したのか。特集『永守ニデック 最終審判』の#3では、電撃退任の真相に迫る。この永守氏の決断は経営問題の幕引きを早めるどころか、むしろニデックの再生を難しくしかねない危うさをはらむ。本稿では、自力再生を阻む「二つの深刻な懸念」を明らかにする。(ダイヤモンド編集部 論説委員浅島亮子、村井令二)
関元社長をターゲットにした叱責メールが暴く
“敵前逃亡”を許さぬ永守氏の「自己矛盾」
まさに電撃退任だった。12月19日、ニデック創業者の永守重信氏は、代表取締役、取締役会議長、グローバルグループ代表の全ての役職を退き、非常勤の名誉会長に就任した。
同日に公表された永守氏の声明で、永守氏は次のように半世紀にわたる経営人生を次のように総括している。
「50年間、ニデックを世界一の総合モータメーカーとすべく、社員ととともに、ひたすら一生懸命、どのような困難からも逃げずに、ニデックを経営してきた」
永守氏が数々の修羅場から逃げずに立ち向かってきた経営者であることは疑いようがない。そして同時に、ニデックの経営幹部や部下に対しても「逃げ」を決して許さない人物として知られてきた。
以下は、2022年3〜4月にかけて、ニデック経営幹部に送られたメールの一部である(編集部による意訳を含む)。永守氏は特定の幹部を叱責する際にも、複数の幹部を同時に宛先に入れ、公開に近い形で強いメッセージを突き付けることで知られる。当時、矛先は日産自動車出身で社長の座にあった関潤氏(同年9月に実質的に解任)に集中していたとみられる。
その時期は、永守氏と関氏が経営方針を巡って鋭く対立していた。メールには、関氏を攻撃のターゲットにした苛烈な言葉が並び、永守氏の強い不満と苛立ちがにじみ出ている。
〈今日のような叱責はまだ序の口だ。この程度でまいっているなら早くこの会社を去っていくことを薦めたい。今期の営業利益が、1900億円を切れば株価はさらに下がる。君(編集部注:関氏のこと)を名ばかりといえど社長で残すことは難しい。相対株価が今以上に下がれば、大変残念ながら君と決別するしかない。〉
〈1900億円を未達にした場合の地獄絵は、君には見えないから、直ぐに達成を諦めるのだろうが、私の頭の中にはくっきりと見えている。何があってもこの地獄絵を見なくて良いように、必死の挽回策を考え続け、同時に実行している。君は、この私が創業した会社をズタズタにしておいて、自分の今後の人生しか考えていないとはどこまでも情け容赦なく白状極まりない人物だな!〉
〈3T(低成長・低収益・低株価)経営に覆われた前期から一転し、日本電産グループ経営の基本である3K(高成長・高収益・高株価)経営に戻すため、創業者(編集部注:永守氏のこと)が再度総指揮を執る。私の経営手法は50年以上をかけて創り上げてきただけではなく、数多くの成功を収めてきている王道経営である。〉
〈過去にも多くの人材が入ってきては、何もしないまま敵前逃亡していったが、それでも日本電産グループは成長し今期は間違いなく2兆円企業の仲間入りを果たすだろう。しかし、相対業績はこの1年で大幅に悪化してしまった。断固たるカムバックが必要だ。 〉
厳しい叱責のメールの文面からは、永守氏の尋常ではない数字への執着や、何者にも代え難い創業経営者としての自負がみてとれる。同時に、永守氏の「敵前逃亡」を断じて許さない姿勢も浮かび上がる。少なくともこのメールを読み取るに、確かに、永守氏は「逃げ」を嫌う経営者だった。
では、その永守氏自身による電撃退任を、どう評価すべきなのか。不適切会計問題の核心には、永守氏自身の関与や、同氏が長年に渡り築き上げてきたニデック特有の企業風土が深く関係している可能性が指摘されている。にもかかわらず、最も重い責任説明が問われるこの局面で、饒舌なスピーチと遠慮ない発言で知られた永守氏は、記者会見を開くことのないまま、静かに、そして唐突に退場した。
これは、責任追及の矢面から身をかわした“敵前逃亡”ではないのか。少なくとも、その去り際は、永守氏自身が掲げてきた経営哲学との間に、看過できない矛盾を生じさせている。
しかもこの退任は経営問題の幕引きを早めるどころか、ニデックの再生をかえって難しくする危うさをはらむ。次ページでは、今回の退任劇により再生を阻みかねない「二つの深刻な懸念」について検証していく。







