『「開発の時代」は終わった』のか?

 6月3日、第5回アフリカ開発会議(TICAD V)は、20年にわたる同会議の歴史上、最も大きな盛り上がりを見せて閉幕した。会議の数週間前から、多くのマスコミが特集を組み、関連の集会も多数開かれた。この盛り上がりは、「躍動のアフリカと手をたずさえて」という会議テーマに象徴されるように、最近のアフリカの高い経済成長に、震災後の回復・不況脱出の活路を探る民間企業の関心が寄せられたことが大きい。

 各新聞紙上には、「最後の市場フロンティア」、「将来最大の人口と需要」などの言葉が目についた。アフリカが負のイメージだけで捉えられ、関わりといえばまずは政府やNGOの援助であったことを考えれば、長く進出をためらっていた民間企業がアフリカに乗り出すことは歓迎すべきだろう。

 しかし、このアフリカ・ブームには危うさが伴っている。アフリカの「『開発の時代』は終わった」、アフリカは「もはや『貧困の大陸』ではない」(「日本経済新聞」2013年6月4日朝刊3面)と言ったような論説は、光の面にだけ目を向ける不見識なものと言わざるをえない。

 また、TICAD V前に各マスコミは、こぞってアフリカとのビジネスではるかに先行する中国に対して、官民一体の取り組みで巻き返し、追いつくことを唱えた。近年中国の進出が目立つことは確かであるが、アフリカに関わっている国々は中国だけではない。むしろ、多くの商権や利権は欧米や南アフリカ系企業のものであり、援助額も欧米諸国と国際機関が多くを占める。

 欧米ではなく、なぜ中国との競争だけが問題になるのか。また中国に追いつくことが、日本にとって、そして肝心のアフリカ諸国にとって、いったいどのような利益とコストをもたらすのか。詳しく説明したマスコミは見当たらない。

 本連載のテーマのように、アフリカには光と影が併存している。アフリカと「手をたずさえ」るのであれば、影の部分を正面から見据え、アフリカの人々とともにその解決に取り組むべきだろう。

 以下では、なぜ成長のかたわらに貧困が放置されているのか考えてみよう。そして、長く貧しい国々への開発援助に取り組んできた日本が、その経験を踏まえて果たすべき役割とは何なのか、論じることにしよう。