体力的にも精神的にも
疲弊した仙台での生活
初めて故郷を離れることには、特に不安はなかったという。もともとサッカーの審判員として、試合のある週末は全国を巡っていたから、ローカルに対する心理的ハードルが低かったのが大きいだろう。
しかし、新天地・仙台で過ごした日々について、中村さんは「試練でした」と表現する。自分よりも社会人経験が豊富な同僚ばかりの職場に、いきなり20代の若者が支店長としてやって来ても、歓迎されないのは当然だろう。
「それでも立場上、支店メンバーをどうにか動かさなければなりません。しかし、そうしたマネジメントのノウハウをまったく持っていなかったので、どうすることもできないわけです」
悩んだ末、とにかく仙台支店を日本一にするために、一度マネジメントというものを捨て、自分自身が先頭に立って営業に出ようと決意した中村さん。つまり、自分の得意ジャンルに振り切って、結果を見せることで人を動かそうと考えたのだ。
「でも、そう甘くはなかったですね。仙台支店として一定の成果は出せたけど、社内の雰囲気は何も変わりませんでした。それどころか、支店長である僕が自ら営業の前線に立っていることを、他の支店からはいぶかしがられていたと思います」
この課題は結局、「最後まで打開することはできなかった」と中村さんは振り返る。
仙台で過ごした試練の日々。体力的にも精神的にも削られるばかりの毎日ながら、それでも潰れることなく走り続けられたのは、審判員の活動というもうひとつの軸足があったからかもしれない。







