なぜ関西人は話に「オチ」を求めるのか?

 独創力とは、「みんながやらないこと」をやり抜く力である。
 このシンプルなテーゼをもとに、いったいどうすれば独創力が身についていくかを考えてみましょう。

 たとえばわたしは、大阪生まれの大阪育ち、生粋の関西人です。おかげで、日常会話から講演会まで、とにかく人前で話をするときには「オチ」を用意しないといけないと考えます。うちの学生にとってはウザい親父ギャグかもしれないけれど、オチのないまま話を締めくくっても、どこか落ち着かないんですね。お尻のあたりがむずむずしちゃう。

 別にこれは、親や先生から「話をするときには、ちゃんとオチをつけるんやで」と教えられたわけではありません。落語や漫才を見て、話術の研究をしたわけでもありません。ただ関西という土地に育ち、関西人に囲まれて育ったおかげで、自然とそうなっているだけの話です。

 つまり、人間の思考パターンとは、その人の「生活パターン」によって規定されるものなのです。
 関西に生まれ育ったから、会話の中にオチをつけるという発想が出てくる。オチをつけずにはいられなくなる。これは関西人ならではの思考パターンという以前に、生活パターン(生活習慣)の賜物なんですね。関西に住んでいてオチのない話をしたら「で、結局なんやねん!」「それだけかい!」となってしまいます。

 さて、本題はここからです。
 誰も思いつかないような独創力を持つためには、どうすればいいのでしょうか?

 もう答えは簡単でしょう。関西で暮らしていれば誰だって話にオチをつけたくなるように、思考パターンを変えるためには、生活パターンを変えるのです。つまり日常の行動パターンを変えていくことからスタートするのです。

 たとえば、みんながラーメンを食べていたら、自分だけはカレーを食べる。みんながエスカレーターを使っていたら、自分だけは階段を使う。みんながミステリー小説を読んでいたら、自分だけは植物図鑑を読む。みんなが海に出かけたら、自分だけは山に行く。

 まるでジョークのような話ですが、はじまりはこれくらい些細な行動でかまいません。日常の中に、ひとつでも多くの「みんなと違う行動」を増やしていくのです。