最近の米国の金融市場の動きを見ていると、1990年代初頭以降のわが国の姿が走馬灯のように甦る。

 公的資金による不良資産の買取りといい、大手金融機関に対する公的資本の注入といい、バブルが崩壊した後にわが国が実施したことを、現在米国がやや時間を縮めて再現している。

 金融市場にも、当時とほとんど同じことが起きている。おそらく、米国は、これからもわが国の辿ったのと同じ道を辿ることになるだろう。今後、米国の金融危機の後に来るものは、かなりの精度で予想できることになる。

 今回の金融危機の発生に際して、バーナンキFRB議長をはじめ米国政策当局の幹部は、当初「米国は、金融危機から長期景気低迷を招いた日本とは状況が違う」と盛んに主張していた。

 ところが、個別金融機関のリスク管理体制が、期待されたような効果を上げられなかったことに加え、政策当局の対策がことごとく後手に回っている姿は、当時のわが国の状況を髣髴とさせるものがある。

 特に、米国のFRBと財務省の政策判断の鈍さは、主要国からも批判の対象になるほどだ。政策当局は、自国の政策発動の迅速さについてはいずこも自信過剰になるものだが、実際の当事者になってみると、思っていたようには行かないもののようだ。

 米国政府は金融市場の混乱の規模に翻弄され、当初、金融機関の不良資産の買い取りのために設定した7000億ドルの資金の一部を、大手金融機関に対する資本注入原資として使うことを決めた。その決定自体は大きな前進なのだが、資本注入によって全ての問題が片付くわけではない。

 信用収縮の深刻化に伴う実体経済への悪影響は、むしろこれから一段と本格化するだろう。また、実体経済が落ち込むと、株式や為替などの金融市場も不安定な動向が続くはずだ。

 さらに、もう少し長い目で見ると、最終的に覇権国・米国が作り上げてきた、金融を基礎とした世界の経済構造の終焉に繋がることだろう。今回の金融危機は、後から見ると、「世界経済の大きな転換点」になる可能性が高いと考える。

 一般的に、大規模なバブルで痛んだ金融機関を再生するためには、腐った不良資産を金融機関のバランスシートから取り去ると同時に、毀損した資本を公的資金で補完する方法が取られる。わが国も、97年の山一證券破綻に端を発したバランスシート調整の最終局面以降、そうした方策を順次採って行った。