テロリズムは政治暴力における戦術の一つであり、ある時期までは体制の中心にいる人々に恐怖を与え、民衆の体制に対する不満を煽ることが大きな目的だった。しかし、政治家や軍の高官から一般大衆に攻撃対象がシフトすると、テロリズムに対する受け止め方も大きく変化していく。

 20世紀以降のテロは、その多くが無差別テロであるが、テロリストは自暴自棄になって無差別攻撃をしているわけではなく、彼らなりの言い分が存在するのも事実。例を挙げると、アルカイダは2001年にハイジャックした2機の旅客機でニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込み、建物内にいた2500人以上が死亡した。

 亡くなられた方の政治的信条や職業はバラバラだが、アメリカ政府に税金を納め、合衆国大統領を投票で選んだのなら、アルカイダにとっては間接的に敵という認識になるのだ。

――テロリスト達の動機はいったい何なのでしょうか? 今も政治的なイデオロギーが動機になっているのでしょうか?

 場所がどこであれ、そして過去の歴史を振り返っても、テロリストの動機には政治暴力が存在する。特定の人物の暗殺から無差別殺傷にいたるまで、それらの背景に政治的な動機が存在してきたのは事実であるし、根本的な信条では帝政ロシア時代に活動したアナーキストとアルカイダに大きな違いはない。自分にとって不都合な制度や、不利益を与える者を廃止・排除するための手段はいくつもあり、最も暴力的なものがテロリズムだと考えてもらっていいだろう。

 余談になるが、「平和的な手段で行われる政治暴力」が民主主義であり、国家元首や政治体制を変えるために、民衆は投票という手段を用いるのだ。爆弾のような直接的な暴力のイメージはないが、体制を変える手段の1つであることに間違いはない。

テロと無差別殺人の違いは
政治的な思想の有無

――チェチェン人兄弟によって引き起こされたボストンマラソン爆弾事件は、2007年のロンドン爆破テロのような、いわゆる「ホームグロウン・テロ(民主主義国で生まれ、民主主義の価値観を持つ者が、過激な思想に共鳴し、自国で起こすテロ行為)」の代表例として報じられています。しかし、アメリカでは凶悪な暴力犯罪が連日発生しており、コネチカット州の小学校やコロラド州の映画館での無差別乱射事件では多くの市民が殺害されました。彼らのような大量殺人犯はテロリストと呼べるのでしょうか?

 無差別乱射などによる大量殺人は、社会に不安を与えるという点でテロリズムと同じようにも思える。ただ、大量殺人の容疑者が政治的な思想を明確に出していない場合、テロリズムではなく、単なる殺人事件の容疑者として扱われてしまうのが常だ。

 賛否両論あるが、「人生にムシャクシャし、生きているのが嫌になった」という理由のみでの大量殺人はテロ事件にはカウントされない。人種や宗教といった理由からではなく、政治的な思想の有無によってテロリストか単なる犯罪者かの線引きがされるということだ。