「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と語るアルフレッド・アドラー。われわれは対人関係から解放されれば、すべての悩みを消すことができる。けれども対人関係をゼロにするなど、絶対にできないだろう。そこでアドラーは、対人関係の悩みを一気に解決する具体策を提示する。いったいなぜ「すべて対人関係の悩み」なのか? そしてどうやって「対人関係の悩み」を断ち切るのか?

人は社会的な文脈においてのみ
「個人」になる

 人は誰しも、なにかしらの悩みを抱えて生きているものです。仕事がうまくいかないとか、失恋をしてしまったとか、自分の容姿が嫌いだとか、いろんな悩みがあるでしょう。こうした現実に対して、アドラー心理学では「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と考えます。あらゆる悩みは「対人関係の悩み」に還元される。個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しないのだと。

 はじめてこの考えに触れたとき、わたしは大きな違和感を覚えました。おそらく、みなさんも同じではないでしょうか。『嫌われる勇気』に登場する青年も、驚きながら反発します。

青年 いま、なんとおっしゃいました!?

哲人 何度でもくり返しましょう。「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。もし、この世界から対人関係がなくなってしまえば、それこそ宇宙のなかにただひとりで、他者がいなくなってしまえば、あらゆる悩みも消え去ってしまうでしょう。

青年 噓だ! そんなものは学者の詭弁にすぎません!

哲人 もちろん、対人関係を消してしまうことなどできません。人間はその本質において、他者の存在を前提としている。他者から切り離されて生きることなど、原理的にありえない。「宇宙のなかにただひとりで生きることができれば」という前提が成立しえないのはおっしゃるとおりです。

 アドラー心理学では、人間は「社会的な生き物」であると考えます。

 もし仮に、われわれが「宇宙のなかにただひとり」で生きていたら、孤独は感じないでしょう。孤独を感じるのは、われわれが「ひとり」だからではなく、自分を取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから疎外されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他者を必要とします。人は社会的な文脈においてのみ、「個人」になるのです。

 そんな「社会的な生き物」だからこそ、人間の悩みはすべて対人関係の悩みである。アドラーはそう主張するわけです。もちろん、この考えを素直に受け入れる青年ではありません。彼は激しく噛みつきます。

青年 先生、それでもあなたは哲学者ですか! 人間には、対人関係なんかよりもっと高尚で、もっと大きな悩みが存在します! 幸福とはなにか、自由とはなにか、そして人生の意味とはなにか。これらはまさに古代ギリシア以来、哲学者たちが問い続けてきたテーマではありませんか!
 それがなんですって? 対人関係がすべてだと? なんと俗っぽい答えでしょう、哲学者が聞いて呆れますよ!

哲人 なるほど、もう少し具体的に説明する必要がありそうですね。

青年 ええ、説明してください! もしも先生がご自分を哲学者だとおっしゃるのであれば、ここはしっかり説明していただかなければ困ります!