新しい年は、1914年の第一次世界大戦の開戦からちょうど100年になる。偶発したサラエボでの「一発の銃声」が世界を巻き込む大戦争に発展したことを、現代人はあらためて想起して、ナショナリズムの暴走に歯止めをかけねばならない。
近年、多くの国の政権が、経済のグローバリズムと政治のナショナリズムを併用して国の統治をしているように見える。
元来、この2つは相反するものであって両立させることが困難であるはずだ。
グローバル経済は、モノ、カネ、ヒトの自由な交流によって、国境の塀を低くする。
だが、国家、民族、宗教を優先価値とするナショナリズムは、国境の塀をどんどん高くしてしまう。
それにもかかわらず、多くの国、特に新興国の一部では、意図的、意識的であるかはともかく、この2つをいわばセットとして活用し、国を統治している印象だ。
これらは根本的に相矛盾するものだから、いつかは必ず破局を招くことが必至である。
中国や韓国の現状はそれに近いように見えて心配になる。エジプト、トルコ、あるいはブラジルなどの大規模デモや暴動も、一見違うように見えるがこの矛盾が根底にあるように思われてならない。
急速なグローバル化が巻き起こす
経済格差、ナショナリズムの先鋭化
グローバル経済は必然的に経済格差を生む。私はそう考えている。これが世界の雇用、賃金水準が平準化するまで続くとしたら、少なくとも今後2、300年間は経済格差が拡大し続けるのかもしれない。