ソチ・オリンピックの閉会式の前日、ロシアのプーチン大統領が「兄弟国家」と呼ぶウクライナで大変事が発生した。親露的なヤヌコビッチ大統領を議会が解任、同大統領は逃亡、ロシアに救いを求めたのだ。現在、同国内のクリミア自治共和国を支援するロシアとロシアの介入を非難する米国・EUという対立の構図になっている。だが、クリミアがウクライナに帰属した歴史的な経緯や民族の構成をみれば、無理にくっつけておくよりも、チェコとスロバキアのように円満に“協議離婚”をする方が内戦よりはるかに合理的だ。
フルシチョフが出身地ウクライナに移管
黒海北岸ソチでの冬季オリンピックは2月23日無事に閉会式を迎えた。厳重な警備態勢でチェチェン人のテロ活動の抑え込みに成功し、ロシアの再興を華やかに演出したこの大会はプーチン大統領にとり最高に晴れやかな舞台となるはずだった。ところが閉会式の前日の22日、彼が「兄弟国家」と呼んだウクライナで大変事が発生した。親露的なヤヌコビッチ大統領を議会が解任、同大統領は逃亡、ロシアに救いを求めたのだ。閉会式でプーチン氏は笑顔を振りまいたが、内心はそれどころではなかったろう。
ロシアは「今もヤヌコビッチ氏がウクライナの正統な大統領である」とする。大統領制の国で、国民が直接に選出した大統領を議会が解任するのは容易ではない。ウクライナ憲法では大統領に重大な非違行為があれば、議会の決議で調査委員会を設置し、その報告を受けて議会が弾劾決議をして解任できることになっている。今回はそのような手順を取っておらず「議会が解任を決議しても法的に無効」という理屈は一応成り立つが、本人が国外逃亡したのだから超法規的事態で、一種の革命だろう。この事態にプーチン大統領は「ロシア系住民と国益を守る必要がある」として、議会に武力行使の承認を求め、露国の上、下両院は3月1日、全会一致でそれを可決した。これに対しウクライナ暫定政権は予備役の招集を決定し戦争の構えを示した。
最大の争点はクリミア半島だ。ウクライナ地方は1240年モンゴル軍に制圧されてキプチャク・ハン国の版図になり、同ハン国が分裂した後もクリミア・ハン国は1783年にロシアがクリミアを併合するまでオスマン・トルコ帝国の属国として存続した。それ以来クリミアはロシア領だったが、1953年にスターリンが死亡したのち第1書記となったフルシチョフはウクライナ出身だったため、1954年にウクライナと地続き(幅8kmのペレコープ地峡でつながる)のクリミア半島をロシアからウクライナに移管した。