3社の起業で感じた限界、将来の可能性を求めてマッキンゼーへ
会社を退いた理由と同じように、2つ目と3つ目の会社を始めた理由も、今となっては本当に記憶が曖昧で、正確なところは覚えていません。
しかし、より自分が得意な部分に注力すれば、存在意義をもっと示せるのではないか、と考えたのは事実だと思います。そして同時に、私は自分の生活費を稼がなければなりませんでしたが、もう普通のアルバイトで満足するような精神構造にはなっていなかったという理由もあったのではないでしょうか。
2つ目の会社は、私よりもはるかに経験を積んだ経営者の右腕、という位置づけの取締役で参画した会社です。
東京の近郊に実際の店舗を出し、ガラス製品を販売する会社を経営していました。当初はオンライン販売に向けて時間を使っていましたが、次第に実店舗での運営に時間を割くようになると、在庫を搬入したり、レジスターを叩いたり、とても貴重な経験を積むことができました。
そして、3つ目の会社は、1人ひとりが個人でも仕事を引き受けることができるような、高いスキルを持った人間が集まった会社でした。私は代表取締役を務めることになります。
それは、言ってしまえば何でも屋に近い会社でしたが、ショッピングモールのウェブプロモーションを引き受けたり、データベースマネージメントの仕事を引き受けたり、また中小企業のIT関連機器の購買もサポートをしたり、これはこれでとても楽しい仕事でした。
自分自身で仕事を取って、それを会社として回して、そして生きていくこともできる。
この頃になると、そんな確信めいたものを感じるようになっていたのはたしかです。しかし同時に、特殊な才能やビジョンがなかった私には、逆に30代の半ばを迎えたとき、多少のお金は持っていたとしても世の中に貢献できていない、そんな状況が想像できてしまいました。
それは、とても狭い世界に閉じこもって生きている、生きるしかない自分を想像できてしまった瞬間でもあります。まるで恐怖にも似たような、そんな感情に支配される心持ちでした。
その結果、自分を叩きなおすことを決意します。
そして、海外に出たいという気持ち、もっと広い世界で戦える人間になりたいという気持ちに正直になるために学び直すことを決め、縁あってマッキンゼーというコンサルティング会社で働くことになりました