よりよく生きるために
「ほしい未来」を自分でつくる
鈴木 僕はそれから、大学4年生になっても就職活動にまったく意味を見出せずにいて、その夏休みに、栃木県西那須野にあるアジア学院に行きました。アジア学院では、農村の指導者を養成するために、東南アジアやアフリカから研修生を受け入れているんですが、現地で使える技術を学ぶんですね。作物をつくる、家畜を育てる、鶏小屋を作るといった実践から、農村経済学やリーダーシップ、コミュニケーション学を勉強します。
馬場 興味深い! 農業そのものも学ぶんですか?
鈴木 そうです。そこでのベースは「有機農業」です。なぜなら、外部から肥料や農薬を買い、品種改良された種で農業をするのでは、彼らが本当に豊かにはなれないからです。リーダーを育成することを通して、グローバル経済に組み込まれて貧しい暮らしをせざるを得ない地域の人たちに、自分の手と足で暮らしをつくり、豊かになってもらうということを目的にしているんです。
馬場 日本人も参加できるんですね。
鈴木 日本人でも、ワークキャンプやボランティアに参加できますし、学費を払えば、研修生にもなれます。僕自身も友人に誘われて「キャンプ」と聞いて参加したら、朝6時半に起こされ、草むしりをし、畑仕事をするというワークキャンプで驚いたという(笑)。でもそこで、自分たちが翌日食べる鶏を「しめる」という経験を初めてしたんです。
そのときに、都会のスーパーでは肉でも魚でも切り身やスライスにされた状態できれいにパッケージされて売られているけれど、本来、生きるということは、ほかの生き物の生命を奪い、それを自分の中に取り入れることそのものだと、初めて意識したんです。
都会に生まれ育ち、コンピュータのことはよく知っていても、自分の食べ物がどうやって育てられ、やってくるのかは知らない。コンピュータが分かれば仕事になり生きていける、と思いがちですが、でもそれは、本物の「生きていく力」ではないと思いました。
馬場 確かに都会の生活では、生き物をいただいているという感覚は、知識としては読んで知っていても、体感する機会はほぼないと思います。そのリアリティを毎日感じられる生活はしたほうがいいですよね。
鈴木 僕は結局、大学卒業後にアジア学院で1年間過ごして、昼間はオフィスで働いて朝と晩、農作業をしていて、700羽のニワトリの世話と、魚のえさやりを担当していました。そこで、自分の食べるものはどこから来ているかも実感できたし、DIYの技術も学べたし、みんなで力を合わせて何かをするという経験をしたことで、「生きている実感」が得られたんです。自分の子どもたちにも、そういうことを感じながら生きてほしいんですよね。
馬場 人間が動物として生きていることを実感できる暮らしは、この時代においては、ある意味とても贅沢だと思います。でも一方で、都会に住みながら、同時に里山の暮らしも実践するには、二地域を往復する上での葛藤というのも確かにあって。南房総での暮らしはかけがえのないものだけれど、都心と南房総を行き来するのにはガソリンを使うし、非効率的だし、お金もかかるし、そもそも楽なことでもないです。
鈴木 僕も、いすみから東京まで通うのは週に2、3回だとしても、電車での移動でも往復3000円はかかるし、贅沢な面はあると思っています。それにやっぱり田舎は便利な場所ではないし、田舎はいいよとは言えても、田舎に住めば社会の問題が解決するわけでもなければ、人生が好転するわけでもないですから。
ただ、僕が「都会か田舎か」という選択ではなく、「都会も田舎も」、つまり「都会で働き、田舎に暮らす」というスタイルを選んだのは、それが、僕にとってほしい未来だからなんですよね。
馬場 そうなんですよね。私も誰かに頼まれて今の暮らしをしているのではないし、NPOを作ってくれとか南房総のことを宣伝してくれとか言われて、二地域居住をしているわけではないんです。自分にとって、今選びうる中でもっともよりよく生きることができると思われるライフスタイルが、今の形なんです。
鈴木 自分のほしい未来、自分にとって快適な環境は、自分でつくる。だから、自分たち以外の人も、いすみにどんどん移住させる(笑)。実際今、僕の周りにはデザイナーや映像作家みたいな、今まで田舎にはあまりいないタイプの人たちが移住してきています。みんなに共通しているのは、みんなでつながって、本当の暮らしをしたい、という思いです。東京といすみを行ったり来たりしている存在である僕が、いろんな人に田舎の面白さを伝えられればいいなって。いすみ市もリアルに人口が減ってますからね。それが、田舎の街や人に貢献することになっていればいいなと思ってます。