「人間が世界を見ようとする時、そこには目に見えない方程式が必ずある。批評はその方程式をあからさまにではなく、徐々に変えていくことができるものだと思っているんです」

「あからさまでないとは、どういうことでしょうか?」

「たとえば、ジャンジャック・ルソー。『社会契約論』を書いた人ですね、フランスの。民主主義の考え方を提示した人として有名なんですけれども、その社会契約論の初版って、何部刷られたかご存知ですか?」

「さあ……?」

「600部ですよ、たったの」

「えーっ!?」

「最初は600人しか読んでいなかったものが、今の世の中の基本となる仕組みを作っている。これがまさに批評の醍醐味なんです」

批評とはつまり、
「社会の七味唐辛子」である

 リアルタイムの市場価値で判断すれば、600部しか刷られなかったものよりも、100万部のベストセラーの方が社会に大きなインパクトを与えているように見える。しかし、100年、200年という単位で見れば、必ずしもそうではない。過ぎてみれば、初版600部の本が世界を大きく変えていた、ということだってある。

 一方で、ミリオンセラーはいつの間にかタイトルだけが頭に残り、人々の思考からは消え去っていることも多い。「価値」とは、時間軸の取り方や見方によって、ことほどさように揺れ動くものなのだ。

「批評とは言うなれば、社内の中の七味唐辛子のようなものでしょうね」

「なくても困らないかもしれないけれど、ないとなんとなく、味気ないような……」

「そう、ですから、批評というのはそもそも一般大衆にウケるベストセラーを狙うようなものではない。それよりも、本当にそれを必要とする600人なら600人に届けば、それだけで確実に社会を変えていけるインパクトを持つ。だから、自分の考えをどういう人に届けるのが最適なのかまで考えて発信するのが批評家の仕事なんだよ、と言う方もいますね」

 考えてみたら、今ほど批評が必要とされている時代もないのかもしれない。なにせ、社会を構築してきたあらゆる仕組みや常識が足下から崩れてきている。常識を疑うことは批評家だけではなく、今を生きるすべての人たちに必要な作業だ。そう考えると、若者たちが批評家養成講座に通うのもむべなるかな、という気がしてきた。

「しかし、まあ、それはそれとして、どうやって食べていくかという問題はシビアに考えないといけません」

「そうですね」

「批評家はどうやって暮らしているのかという生々しい話になりますと、こちらもなかなか答えにくいのですけれども」

「そこをあえてお聞きすると、どうやって暮らしているんでしょうか、みなさん?」