私たちが子どもの頃は、新聞をじっくり読んで世の中への思いを巡らせていた。しかし今は、そんな時代と情報摂取の形態が根底から違う。現在、私たちの周囲には、あふれんばかりの「メディア」があり、つまり大量のニュース、記事があり、一昔前の感覚からするとメディアの“過剰摂取状態”である。もちろんこのなかには、ニュースや記事よりも読者にとって重要な、友人とのメールやチャットによるコミュニケーションや、ゲームの更新など大量の情報があちらから「通知」されてくる。こうなってくると、1つの話題に対する消費ペースを上げざるを得ない。

 現在、日本企業でその変化に一番敏感なのは、LINEグループだ。株式会社LINEの「NAVERまとめ」では、複数の記事を「まとめ」るCGMを作ることによってニュースの中身を理解する時間を短縮させている(もちろん無益なまとめも生まれているが)。また、同グループのNHN Japanによる「livedoorニュース(LINEニュース)」では、1つの話題を3つのセンテンスにまとめる「ざっくり言うと」というサービスがある。

 これらは業界関係者から賛否両論あるが、読者に必要とされて出てきたサービスというのは間違いなさそうだ(本記事中でこれ以降も「読者」という言葉が登場するが、「この記事の読者」という意味ではなく、僕を含む、すべてのスマホやPCで記事を読む普遍的な意味での「読者」を指す。「ユーザー」と置き換えようかと思ったが、あえて読者という表現にしておく)。

 この「まとめ」や「ざっくり」から見えるのは、1つの話題を消費するスピードのアップが求められているという現実だ。つまり、1日中情報の通知に追われる読者が、できるだけ早く読み進めるための“情報の一口サイズ化”が必要になってきたということだろう。当連載に代表されるような、何が言いたいのか読み進めないとわからないという記事は、明らかに時代とミスマッチなのである。こうなると、タイトルだけを見て、この記事は好き、嫌いという判断で発言をする状況が生まれやすくなってくる。

 また、タイトルしか読まれないことを逆手に取って、タイトルを長めにし、興味を引くような文章っぽいタイトルを付けるという行為が制作者の間に横行している。これも、情報の発信者が増えれば競争相手が増え、より刺激的なキャッチを付けようという方向に流れていく。これら、あまりに記事内容と乖離した刺激的なタイトルは、「釣りタイトル」「釣り記事」と読者から揶揄される。この「釣り記事」は、スポーツ新聞や総合週刊誌の例を持ち出すまでもなく、マスコミの常套手段であった。がしかし、釣り記事に対して批判が多いのは雑誌やスポーツ紙よりも圧倒的にWebの記事に対してである。

 なぜWebで読む記事に対しのみ「釣り記事」批判が生まれるのか。それは、スマートフォンやPCを通して記事を読むという行為を行う際は、できるだけ迅速に事実を知りたいというニーズがあるから。少しでも早く、多くの有意義な記事を読みたい。そういう需要に「釣り記事」は反しているのだ。読者のニーズに合わない記事であれば、それは批判されるのは当然だろう。

 これらの社会現象が良いのか悪いか、その答えはここでは論じないが、要するに現在、インターネットニュースの発信者と読者の間で起こっているのはそういうことだ。