負けっぷりが悪かった東京
2016年夏季オリンピックの開催地がブラジルのリオデジャネイロに決まり、事前の下馬評通り東京は落選した。最後のプレゼンテーションに鳩山首相も駆けつけたことについては賛否両論があったが、東京都民の賛意が盛り上がらなかったプロジェクトとはいえ、一応の手続きを経ての正式立候補だったので、首相がこれを応援したのは、些か「軽すぎ」た気がしなくもないが、悪いとまでは言えまい。
残念だったのは、石原慎太郎都知事の敗戦の弁だった。リオ陣営がアフリカ諸国やフランスなどに蔭で買収まがいの働きかけを行ったことを示唆する発言を行って、先方から抗議された。既に負けたのだから、全く余計な発言だった。東京が再立候補する場合を考えても悪影響だ。爽やかにリオを讃えて、良き敗者を演じるべきではなかったか。
彼は、一体何が目的で、あのようなことを言ったのだろうか。ブラジルのやり方やIOCの運営を批判するつもりだったなら、噂ではなく事実をはっきりと挙げて、正面から批判すべきだ。或いは、オリンピック自体が、石原氏が『産経新聞』(10月12日、コラム「日本よ」)に書いたように「かつての自民党総裁選」のように汚い勝負だと自覚していたなら、150億円(公称)もの費用を使って敗れた石原氏の、彼自身が言うところの「政治家の勘」は、全く使い物にならない代物だというほか無い。
他候補との相対評価は別として、東京自身の最大の敗因は、地元の支持が盛り上がらなかったことだと言われている。主唱者であった石原氏の、説得内容に魅力がなかったか、人徳が足りなかったのか、あるいは彼が民意を測り損ねていたのか、何れにしても、政治家として彼は相当に反省しなければならない立場だ。もっとも、自ら反省するのはお得意ではなさそうに見受けるので、今後、東京都議会が「ノーと言われた東京」の招致活動について厳しく検証し、「反省の季節」を石原氏にプレゼントすべきだ。新銀行東京の損に較べて一桁小さいとはいえ、150億円は決して少額ではない。