世田谷区の南端を神奈川県と区切る多摩川沿いには、都心と趣を異にする緑豊かな高級住宅地の存在が知られている。その中でも知名度の高いのが上野毛・等々力。自然環境が特に豊かであり、それでいて整然とした端正な街並みは、周囲の喧噪から誇らしげに孤立している。
大通りに貫かれて
なお閑静さを守る
世田谷のお屋敷街としてその名を知られる上野毛・等々力。この街は首都の大動脈=環状8号線が真ん中を横断しているのだが、車で訪れるのには不思議と都合が悪い。環状道路の渋滞のせいではなく、周辺の道路構造によるものである。環状線と交わる脇道のほとんどが一方通行……それも、この大通りに向かって……なのである。付近の町中から出てくるのはたやすいが、入っていくのは困難をきわめる。このために、上野毛も等々力も、その閑静さを破られることがない。それでなくても、この街は歩くのに相応しい場所である。
上野毛の五島美術館からカルメル修道会に至る住宅街、都区内唯一の自然渓谷である等々力谷に沿った散歩道は、ここが都区内であることを一時忘れさせる。「武蔵野」がここだけ切り取られておかれたような、緑濃い住宅地なのである。環状線沿いにのみ建つビルに遮られるのか、街並みに車の騒音も届かない。
整然と交差する住宅街の道路、いまも残る100坪、200坪クラスの邸宅、昼間は通る人も少なく、とてもこれが二子玉川園から1駅、2駅目の街とは思われない。住宅地としてのみ高度に成熟し、いち早く落ち着いた土地柄を形成したのである。おそらく今後もこの場所に、大きな変化が訪れることはないだろう。憧れの地として語られることは増えるにしても、だ。
大規模区画整理で
つくられた先進の街
上野毛・等々力の閑静さはいまに始まったことではない。何しろ、「等々力」の地名はいまの1丁目にある『不動の滝』の音が一帯にとどろいていたから、という説があるほどである。一方、上野毛の地名は崖を表す『ノッケ』(アイヌ語)が語源ともいわれる。いずれにせよ、水際ののどかな土地であったことに変わりはないだろう。等々力渓谷周辺には横穴式の古墳が数多くあり、そのいくつかは発掘されている。この事実から、6世紀ごろにはすでにこの近辺には人間の生活の場があったのであろう。とはいえ都会からは遠く、この地は近代に至るまで、川べりの農村として存続していく。