田舎親分となった国王の逆襲劇

 原初の封建制は、ほぼ農業オンリーだった。そうすると、いやが上にも生産力が向上し、「余剰生産物」が発生する。そりゃそうだ。同じことだけやり続けて、上達しないやつなんかいない。清原だって30年以上送りバントの練習だけすれば、川相以上の“犠打の名手”になれる(たぶん)。

 そして余剰生産物ができると、それをただ腐らせてしまうよりも、何か面白いものや珍しいものと交換したいと考える。人間、食うに困らなくなると、必需品だけでは飽き足りなくなる。これも当然の話だ。

 そうすると、今度はその商品交換の場として「都市」が生まれた。都市が生まれたというと変に聞こえるが、そもそもピュアな封建制の時代は、領内は全部畑だから「人々が集まる場所」「畑以外の場所」なんてなかった。

 そこに都市が生まれたというのは、やはり領主の意識が変化してきた証拠だ。その都市で、さまざまな手工業者の同業者組合(ギルド)が発達することになる。

 そしてそこに、今度は「貨幣経済」が流れ込んでくる。その最大の要因となった出来事は、十字軍の遠征だ。十字軍の遠征とは、キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教徒から取り戻そうと、ローマ教皇ウルバヌス2世がセルジューク・トルコに対して仕掛けた戦いだ。

 その後、教皇が代わっても戦いは引き継がれ、1096年に始まった遠征は1270年に終わるまで合計7回も実施された。しかし、この戦いでローマ教皇側は勝てず、結局ヨーロッパによる聖地奪回はかなわなかった。

 でもこの戦い、負けはしたけど、経済面から見れば、ヨーロッパとアジアの交易拡大にはなった。ただし、遠隔地相手の商売に物々交換じゃ効率が悪い。だからそれをスムーズにするため、貨幣経済が発展したんだ。

 しかも、十字軍の遠征には、封建領主と教会の没落というおまけまでついてくる。もともと騎士が封建領主になれたのは、軍事奉仕をするからだ。だから彼らは、戦があれば出陣する。

 でも、十字軍の遠征は失敗し、領主の多くは戦死した。ということは、領民の中には、納めるはずの年貢を丸々着服できた連中もいたはずだ。彼らこそが独立自営農民(ヨーマンリー)、後に資本家の卵となる人たちの一部だ。そして、教会も没落していく。実は当時(11~13世紀)の教会は、ヨーロッパ最大の封建領主にして、各国の国王も逆らえないほどの権威を確立していた。

 その教会が「俺らのシマを取り戻すぞ!」と勇ましく号令をかけて何度も抗争をしかけたのに、それに失敗したんだから、彼らのメンツは丸つぶれだ。

 教会は没落、領主は戦死──今、ヨーロッパはボロボロだ。でもこの状況を、ほくそ笑んで見ている不謹慎なやつがいる。国王だ。国王はここんとこ、全然うだつが上がらなかった。いつの間にか教会の方が偉くなり、自分が盃をやったはずの領主どもは、自治権を盾に全然言うことを聞かない。後輩には抜かれ、部下には尊敬されず、ただの哀れな中間管理職だ。

 最近ではタイツもシワシワ、髪のカールのかかりも悪い。そして気がつけば、教会が組織の組長になり、領主が本家の若頭みたいになって、自分はいつしか田舎の親分衆の一人みたいになり下がっていた。

 でもそれが、十字軍の失敗のおかげで逆転した。今、うちの組織は、組長が抗争に疲れ、若頭の多くが死んだ。これは田舎親分に格下げされ、義理場の末席でくすぶっていた国王にとってチャンスだ。

 ここからヨーロッパの封建制は大再編ともいえる時期に入り、各国国王の中で密かに牙を研いでいた者は、武力を使った強引な国内統一を進めていく。こうして生まれてきた体制が「絶対王政」だ。