急速に進む「謎の円高」の正体とは?
住専と不良債権のことばかり書いてきたが、実はこの頃、他の部分でも、日本経済は踏んだり蹴ったりの状態だった。
1995年、日本は“謎の円高”に襲われた。確かに最近、日本は消費が停滞し、「外国のモノを買わず、日本のモノばかり売る」だった。これをやると外国人の円需要ばかり増える(日本のモノを買うために円が必要)から、どうしても円高になる。
でも、そんなレベルじゃなく、このときの円高は猛烈な勢いで進んだ。1990年代は「1ドル=150円」ぐらいから始まって、そこからずっと円高が続いていたが、それが1995年初頭には「1ドル=100円」、それがその後90円になり80円になり、そして4月19日、為替レートはついに「1ドル=79円」の当時最高値を記録した。
なぜだ! 日本はこの間、バブル後の不況に加え、阪神淡路大震災まであったんだぞ。それがなんで円高につながるんだ!?
実はこのときの円高は、いろいろと国際社会の“オトナの事情”がからんだ、複雑な円高だった。アメリカが採った対日貿易赤字の縮小策と対中国優遇の元の切り下げ、メキシコ通貨危機に端を発する海外投機マネーの円への避難、震災後の保険金支払いに備えて日本の生保・損保が外貨資産を売却して円買いを行ったこと、そしてこれら諸々を見通した上での、投機筋による円の思惑買い……こんなところか。
不況の上にこれだけ円高が進んだんじゃ、もう日本経済は粉々だ。この頃はもう日本中がヤケクソで「海外旅行が安くて得じゃん♪」と騒ぎまくっていた。海外逃亡の間違いだろと思ったが、とりあえずみんな行ってたな、海外。何にせよ、これだけ円高が進んでは、日本の本来のお家芸・輸出でも利益は出ない。これはもう“詰み”だ。日銀はこの後、公定歩合を0.5%まで引き下げた。