山一・拓銀・長銀破綻! ついに崩れ落ちた日本の金融機関
1997~98年には、大手金融機関が連鎖的に経営破綻した。まず1997年11月、北海道拓殖銀行が破綻した。“たくぎん”は、ローカル色が強いため、都市銀行の中では弱小と見なされがちだが、実は北海道経済を支えてきた大銀行だ。その都銀初の経営破綻というニュースに、日本中があっと──驚かなかった。
それより「ああ、やっぱりそろそろこうなるのね」という、冷めた反応の方が多かった。さすがにもうみんな脳のリハビリは済み、物事をちゃんと正しく「悲観的に」とらえられるようになっていた。
そして、拓銀破綻のちょうど1週間後、今度は山一證券が自主廃業した。山一といえば、野村・大和・日興と並ぶ「四大証券会社」の一つだ。“法人の山一”なんて言葉も、就活している友人から聞いたことがある。
さらには1998年、今度は長銀二行が破綻した。長銀とは「長期信用銀行」の略で、吉田茂首相がかつて唱えた「金融の長短分離(短期資金は銀行から、長期資金は長銀から)」をめざして設立された三行(日本興業銀行・日本長期信用銀行・日本債券信用銀行)だ。
三行は1952年から順次設立され、そこに深く関わったのは、後に首相となる池田勇人。戦後復興と高度成長のための設備投資資金を支えることが主な目的だ。しかし長銀も、バブル期には客が減って苦労した。もう高度成長期ほど設備投資もないし、好景気のせいで運転資金も足りている。なら長銀も、客を確保するには、もはや時代遅れの産業金融じゃなく、もっとバブル的な方向(つまり土地や株)への投資をと思ってしまった。この辺は、他の銀行や住専と同じだ。
というわけで、長銀もよそ同様、バブル物件を求める顧客やリース会社にジャブジャブ金を貸し、バブル後破綻してしまったのだ。しかしこの長銀、実はかなりの伏魔殿で、すでに破綻しているのに、謎の力で守られているかのようにつぶれなかった。というか、本人はもう死んで楽になりたいのに、不自然な力がムリヤリ死なせてくれないみたいな感じ。それはまるで、誰かが長銀に糸を付けて、傀儡よろしくムリヤリ生かそうとしているようだった。
では、誰が長銀を生かそうとしたのか? ここがつぶれるとまずい人って誰だ? 長銀は池田勇人の肝煎りでつくられた銀行であり、自民党「宏池会」(保守派閥)とのつながりが非常に深かった(というか“宏池会の財布”的な銀行だった)。
長銀は産業金融メインでやってきたため、ゼネコンへの貸付が多いが、そのゼネコンは自民党の“活力の源(集票&献金)”なので、これを支える長銀が破綻するのは、自民党的にはまずかった。つまり、自民党が必死に守りたがったということだ。
長銀には、石油公団や東京電力への融資という「政策金融の一翼を担う」側面があったため、自民党的には破綻されるとまずかった。“長銀の別働隊”ことノンバンクの「日本リース」は、農協マネーの借り入れも多く、自民党としてはツブせなかった。
結局この年、7月発足の小渕内閣では、首相自らまで長銀の“縁談”(身売り相手探し)に奔走し、それがご破算になるや、今度は10月に金融再生法をつくって長銀を「特別公的管理」(一時国有化)にした。
そして「宮澤喜一蔵相─柳沢伯夫金融再生委員長」の宏池会ラインで長銀をガッチリ守りつつ、受け皿が見つかるまで何が何でも長銀をつぶさない方針が採られた。その後長銀では、粉飾決算や飛ばしがらみで何人もの逮捕者が出たが、なぜか最高裁では無罪になることが多かった。また、粉飾決算に関わった長銀の幹部2人は「立て続けに自殺」した。
(※この原稿は書籍『やりなおす経済史』から一部を抜粋・修正して掲載しています)