銀行はパンドラの箱を押さえ続ける死刑執行人

 公定歩合0.5%。ふつうなら「ウソだろ?」と騒ぎ出すほどの冗談じみた史上最低金利だが、バブルとともにパーンと弾け散ったバラ色の脳の破片を呆然と拾い集め、頭の中にカラカラと詰め直している最中だった僕らは、もはやどんな情報を聞いても「ふーん」という無感動な反応しか示せなくなっていた。

 でもこれ、冷静に考えたら、とんでもない低金利だ。だって、バブルのきっかけは公定歩合2.5%だったし、そのとき銀行が「安い!」と騒いで日銀から金を借りまくったせいで、カネ余りから日本がバブルに走ったんだから。それが0.5%ということは、そのときの5分の1か。ということは、今度はこれがきっかけで、あの頃の何倍ものバブルが発生するんじゃないのか?

 でも、そうはならなかった。銀行はカネ余りに浮かれるどころか、来る客来る客みんな追い返す「貸し渋り」に奔走したのだ。なぜか? それはバブルでいちばんダメージを受けたのが、他ならぬ銀行だったからだ。

 銀行はこの頃、巨額の不良債権を抱えていた。そしてその不良債権は、処理したくてもできない“パンドラの箱”だった。無理にこじ開けたら、何が飛び出てくるかわからない。出てくるものは損失だけなのか、それとも逮捕か解雇か廃業か……。いずれにせよ、最後に残るのは“希望”ではなく“絶望”だ。ならそんな箱、誰が好んで開けるものか──。

 すべての銀行はこの意識を共有し、組織ぐるみで不良債権から目を背けた。そんな後ろ向きになってしまった銀行が、客にカネなんか貸すわけがない。この頃の銀行には、来る客すべてが“不良債権の卵”にしか見えなかった。今彼らにできることは、これ以上傷を広げないことだけだ。

 結局、彼らはこの時期、神さまであるはずのお客様にケツを向け、全力で腐臭漂うパンドラの箱を押さえ続けた。ついでに彼らは「貸しはがし」なんてムチャもやり、せっかくバブルの荒波に耐えて生き残った中小企業から、担保割れを理由になけなしの運転資金をむしり取って死刑宣告した。

「銀行は晴れの日にムリヤリ傘を貸し、雨が降ったら取り上げる」──『半沢直樹』で使われたこの言葉には、この頃銀行のケツを舐めさせられた企業の怨念がこもっている。

国民をますます追い込む財政構造

 1997年、政府はバブル後の不況が続いているにもかかわらず、時代に逆行する政策を打ち出した。「財政構造改革法」だ。これは簡単に言うと、「不況だけど、みなさんからお金をむしり取りますね」という法だ。

 つまり政府は、バブル後の不況対策として何回か「緊急経済対策」をやったが、全然効果がないまま、気がついてみたら借金ばかりが巨額に膨らんでしまったことに慌てたのだ。

 そこで橋本(龍太郎)内閣が、苦渋の決断として、僕らに負担をかけることを承知の上で、まず財政構造の健全化を図ったのだ。そこで実施されたのが、消費税の引き上げ。そう、あの3%から5%に上がったときのことだ。それに加え、医療費の引き上げ(このときからサラリーマンは1割負担から2割負担にアップした。今日は3割負担)、所得税の特別減税の中止などもセットで行われたため、国民負担は一気に9兆円も増えた。

 これだけでもガタガタなのに、さらに追い打ちをかけるように、同年「アジア通貨危機」まで起こった。こいつのせいで対アジア融資の多くが不良債権化してしまい、これらすべてに対する不満は、橋本内閣に向かった。

 橋本内閣は、翌1998年の参院選で惨敗し、辞任した。その後は小渕(恵三)内閣が引き継ぐことになる。