原発・放射線の問題が福島で争点にならない理由

「組織に頼るような選挙ではだめだ。自分で政策を見て候補者を選ぶべきだ」という視点もあるだろう。ただ、この「一強多弱」の背景には、この選挙特有の「わかりづらさ」があることも認識すべきだ。

 住民から見える「わかりづらさ」には、2点ある。

 まずは、「政策のわかりづらさ」。地元報道機関は「候補者が出揃ったが争点が見えづらい」と書く。それに対して「争点はあるではないか。しっかり仕事しろ」という反発の声も聞く。これはいずれも正しいが、実際問題、多くの住民が「争点が見えづらい」と感じている現状があるのは確かだろう。

 どの候補も、取り組むべき政策として、大きく分ければ原発事故収束や除染・健康管理など「3.11由来の問題への対応」と、雇用や教育、医療・福祉など「そもそも地域にあった問題への対応」を掲げている。

 ただし、具体的な方策に違いこそあれ、それらの問題への対応の「推進」を掲げている点では一致しており、いわゆる「賛成/反対」「推進/阻止」という「わかりやすい二項対立構図」になっていない。その点では「この人は政策Aに賛成だから、私はこの人に投票する」というような選択基準が不鮮明で、「どの候補も大同小異だ」と見る「庶民感覚」は確かにあるだろう。

 もちろん、各候補の人柄の差は、実際に会ったり、YouTubeでも見られる討論会や演説会を通したり、などでわかる。当然、それぞれの個性が出た政策の違いも、細かく各候補者の主張を調べていけばわかるものだ。

 例えば、内堀氏は「ロボット産業」を軸にした産業づくりを主張する。廃炉などで必要になるロボット開発に必要なリソースを用いて、医療や農業にまで活用できるようにするという。これを「さすが、50歳になったばかりという若さと幅広い見識、中央とのパイプを感じさせる、重要な争点だ」と思う人は中にはいるだろう。一方、先述の熊坂氏など「県外原発の廃炉」を強調する人もいるし、井戸川氏なら「避難計画の見直し」を言う。脱原発・被曝回避というトピックに感心を強く持つ人にとっては「これこそが争点ではないか」と思うかもしれない。

 ただ、いずれにせよ、それら個別のトピックに強い関心を持ち、投票行動につなげる人がどれだけいるのかは未知数だ。多くの人にとっては「へーそうですか。私には直接関係ない話ですが」ということなのかもしれない。国政選挙でいうならば、TPPや増税、医療費負担の変更など、明らかに一定割合の人にとって生活上の死活問題になりそうで、投票行動に影響を与えそうなトピックとは違う。候補者の中には「多くの有権者が反応してくれるはず」という期待もうかがえるが、それが実際にどうなのかという点については結果を待ちたい。

 このような政策的な候補者同士の分かちがたさに加え、多くの人にとって、自分の信条に近い政党がすべて内堀氏に相乗りしている状況が「政策のわかりづらさ」に拍車をかけている。

 県外から見れば、「福島なら原発・放射線の問題が争点になるのではないか」と思う人もいるだろうが、それもまた争点にはなっていない。少なくとも原発問題については、どの候補も「県内原発の全基廃炉」を掲げているので、争点にはなりづらい。

 また、先述の通り放射線問題については、それぞれの候補の選挙運動資料や演説、討論会での発言を丁寧に見聞きすると、力点の置き方の違いが見える部分もある。例えば、「放射線にいかに対峙するか」という方針については、内堀氏は避難地域の復興を主要政策として掲げるし、井戸川氏は県民の避難計画の再策定を主張する。しかし、これも、「Aだ」「Aではない」と明確に対立する命題同士とはならず争点化しがたいのが現状だ。

 候補者の主張とは別な部分で、内堀氏以外の候補の支援者の中には「内堀氏にこそ、これまでの国や県の方針を看過してきた責任がある」「原発事故直後、政権にあった民主党やいまも原発推進を掲げる自民党の支援を受けているのはけしからん」などと糾弾型の主張をする傾向もある。ただ、それに対して、副知事という立場であった内堀氏に、これまで起こったこと責任を被せることには限界があるのでは、と「無茶な責任転嫁」「誹謗中傷」と冷めた見方もする有権者もいる。

 しかし、いずれにせよ、そのような細かく「わかりづらい」議論もまた、一部の「政治意識高い系」の層の中にとどまっているのが現状だとみなさざるを得ない。

「争点はあるではないか」と強弁する主張を見ても、何が争点なのか、明確に多くの人が理解できる形で整理されている場合は多くない。選挙戦も残り1週間となったが、この争点がわかりづらい状況は大きく改善されないままに終わるのかもしれない。

 ちなみに、福島県における規模の大きい選挙において、自民党含めて全候補者が「県内原発の全基廃炉」と主張するパターンが完成したのは、2011年末の福島県議選でのことだ。

 それまで、自民党福島県連は原発に対する姿勢を明確にしていなかった。しかし、震災後はじめての県議選にあたり、また、中央政界では民主党が政権を担う状況のなかで、自民党県連は、それまで社民・共産などが訴えてきた「県内原発の全基廃炉」を自ら取り込んだ。自民党本部が明言していないことを県連が主張する、いわゆる「ねじれ」であるし、安易な「争点つぶし」にも見えるが、選挙では十分効果を発揮して、民主党が議席を減らす中、議席の維持に成功した。

「福島なら原発・放射線の問題が争点になるのではないか」という問いは、いくつかの選挙を繰り返す中で、常に問われてきたし、今後も問われ続けるであろう。しかし、この答えは、もはや明確になってきている。少なくとも過去の事例においては、「争点にはならない。もちろん多くの県民は原発・放射線問題にうんざりしているが、では『脱原発・被曝回避』を選挙で強く主張したところで勝てるわけではない」ということだ。

 例えば、最もわかりやすい例を挙げるならば、福島県選出の国会議員の政党別の割合だ。

 震災時、5つある衆議院選の選挙区のすべてを民主党が持っていたが、2012年末の選挙では、脱原発を大きく掲げる民主党は、玄葉光一郎衆議を除くすべての議員が自民党議員に敗れた。脱原発シングルイシュー政党として登場した「未来の党」も当時の代表の嘉田氏が飯舘村で第一声をあげたが、ほとんど得票に結びつかなかった。

 2013年の参議院選でも、民主党の議席は失われた。もちろん、この間、他の政党、あるいは無所属の候補者も「脱原発」を強く主張することで、強く主張しない対立候補と差別化・争点化しようとしてきた例は多々あったが、いずれも具体的な成果には結びつかなかった。

 背景を簡単に説明するならば、「脱原発」という「大きな政治的テーゼ」よりも、多くの住民は「目の前の生活の問題」にこそ関心があるということだ。復興関連予算は大量に流入してきているが、必ずしも地域経済がよくなったわけではなく、むしろ環境の激変の中で雇用などに様々な問題が生じている。医療・福祉の問題も大きいが、それは放射線への対策がどうこうというレベルの話よりも、かねてより存在した高齢化や医療・介護人材の不足によって「十分なケアを受けられない」「病院が以前より混雑してきて診療にも不満が残る」といった実感として多くの住民に認知されている。

 そのなかで、確実に「目の前の生活の問題」を解決してくれそうな候補が勝ってきた、というのが少なくともこれまでの選挙の結果から言えることだ。

 福島県では昨年、郡山市・いわき市・福島市などの都市部や富岡町などで相次いで現職首長が連続して負ける「現職首長ドミノ敗北」が起きたことが話題になった。これは、端的に言えば、様々な地域課題への不満が首長の「すげ替え願望」を高めた結果だと言えるだろう。

 ただ、この内実を見ると、国政選挙でいうところの脱原発を全面に出してきたような「左派・革新派」が勝ったわけではなく、いずれも地元出身の官僚経験者や保守系県議などが勝利している。つまり、内実は保守内分裂であり、住民も、首長の首をすげ替えるにしてもただ大きな理念を主張する政治家ではなく、2年間で蓄積した「目の前の生活の問題」を変えてくれそうな、保守系の色合いの強い政治家を求めた結果だと解釈するのが妥当だ。

 もちろん、今後もそうなるという「予言」はできない。ただし、この「現職ドミノ敗北」の延長で見ると、仮に、いまも首長の「すげ替え願望」が強く残っているとしても、必ずしもそれは左派・革新派の期待には結びつかないのかもしれない。

 現時点までの大きな傾向としても、震災直後に存在した原発・放射線についての極端な主張、過度に単純な主張をする候補者はほとんど見られなくなってきた。今後、仮にそういう候補が出てきても大きな支持を得ることは困難だろう。少なくとも、「県内原発の全基廃炉」パターンが続く限り、選挙の結果を左右するレベルで「福島なら原発・放射線の問題が争点になる」ということはない。